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汝、その薔薇の名

6.噂の伯爵令嬢 7


 晴れ渡る良き日、王宮に驚天動地が迸った。
 宰相はその驚倒する報告を有翼の間で知らされた。
「そ、それはまことですかウィンザー公!」
「落ち着いてください宰相殿」
「これが落ち着いていられるものですか。ま、まさか、あのファルツ伯爵が…養子ですとぉぉっ」
 素っ頓狂な叫び声をあげて宰相はウィンザー公に掴みかからんばかりに迫った。
「いや、なんでも女性らしいので養女ってことになりますね」
「男でも女でもよろしい! 問題はそこではありません!」
 普段温厚な宰相の変貌にさすがのウィンザー公エドマンドも冷や汗をかいた。
「あのファルツ伯爵が、養子をとるという行動自体が問題なのです!」
「そ、そうですね。私も驚愕しましたよ」
「ファルツ伯爵家といえば、名門中も名門の家柄ですぞ。博識と名高い著名者を多く輩出しながら俗世にはまったく興味を持たない一族。その中でも識者と名高い現当主殿がよりにもよって養子をとるとは一体どういうことですかっ」
「宰相殿、私に聞かれても困りますよ。ファルツ伯に、直接お尋ねになればいいではないですか」
「言われずとも! 直ぐに使者を向かわせますぞ、誰か、誰か居らぬか!」
 宰相の声に呼応して、すぐさま侍従が現れた。
 指示を出している宰相の横で、宰相の剣幕から解放されたウィンザー公が安堵の溜息をついた。
 侍従が慌しく出て行くと宰相は再びウィンザー公に向き直った。先程よりは冷静になったらしい。
「ウィンザー公、もっと詳しく説明していただきたい」
「私も寝耳に水でしたよ。モンテナ公が押し掛けてきて、事態に気付いたくらいなのですから」
 きゅっと眉を寄せるしぐさから、機嫌の悪さが伺える。おや、と宰相は内心で面白がった。
 どうやらモンテナ公が屋敷に押しかけて来た時のことはこの公爵にとってあまりよろしくない記憶のようだ。
 確かにあのモンテナ公と顔突き合わせるなどできれば御免こうむりたいほど苛々と神経を苛むが、それくらいでウィンザー公が感情を表に出すことほどらしくないものもない。
 別の理由があるはずだ。
 宰相はすぐにピンときた。
「アルト・ハイデルが一緒でしたか」
 考えてみれば当然のことだ。父親とは違うあの端麗な青年は、父親に影のようにひっついている。おまけに何を考えているのか分からない腹に一物抱えた人物だ。彼ならば、ヴィルバーンの筆頭公爵と渡り合えるだろう。
「ええ、あの男…まったく何が言いたいのかさっぱり要領が得ません。煙に巻くようないい方ばかりで、こちらの敵なのか味方なのか」
 アルトとのやり取りを宰相に報告し、一息つくとウィンザー公は腹に溜まった毒気を消化したようだ。
「兎に角、モンテナ公はまだリチャード王子のご息女を見つけていないようなので安心しました」
「ですが、安心ばかりもしていられませんな。カラドボルグの事を指摘されたのは痛い」
「とはいえ、今はまだ動く気はないでしょう」
「あちらが動くならば、それなりの準備と口実が必要になりますからな」
「リチャード王子のご息女…、やはりそれしかありませんな」
 問題は解決していない。さらに別の問題まで発生した。宰相と公爵はそろって溜息をつく。
「話は戻りますが、ファルツ伯爵の件についてはどういう状況なのです?」
「すぐに貴族院に連絡を取り確認したところ、やはり宣言書の作成に入っていました。貴族院は上へ下への大騒ぎでしてね。話を聞くのに手間取りまして報告が遅れました」
 ウィンザー公は確認したその足で王宮に直行したのだ。息を詰まらせた宰相はぱくぱくと口を金魚のように動かした。
「それはつまり…」
「つまりファルツ伯爵は養子をとることを貴族院から正式に認められたということです」
「なんと…! ではこちらから横やりを入れても無駄ではないですか」
 宰相は悔しそうにつぶやいた。
「貴族院の議会は開かれなかったのですか?」
「伯爵程度の貴族の養子縁組に議会など開く必要はありません、とのファルツ伯のお言葉に押し切られたようです」
「…伯爵程度? ファルツ伯爵家という家柄が程度ですむわけないでしょう!?」
 むきーっと整えられた白髪を振り乱して地団駄を踏むに宰相を宥めにかかる。
「まあまあ、ファルツ伯に睨まれるのは誰でも避けたいのでしょう…、仕方がありません」
 比喩でなくともあの亡霊のような顔で威圧されて耐えられる貴族が何人いるだろうか、否いまい。考えただけでも恐ろしい。
 エドマンドはそこまで考えて、ぽむと手を叩いた。なるほど、そうやって押し切ったのか…。
 一人で感心していたエドマンドだったが、宰相の声で我に返った。
「その養子にする子供に何の問題もなかったのですか?」
「ファルツ伯爵からの要請を受けて貴族院でもある程度調べた様ですが、問題は何もありませんでした。伯爵が提出した書類にも不備はなかったようです」
「宮廷で風聞にもならなかったところに計画性がうかがえますな。情報に通じているウィンザー公すら事前に察知できなかったとは…」
「まあ、それなりに自負しておりますが、困った事に今回ばかりは相手が悪い」
 やれやれとウィンザー公は首の後ろの筋肉をほぐしながら嘆いた。
「ファルツ伯は徹底しています。養子の事も今まで誰も知りませんでした。それとない噂すらなかった。まるで狸に化かされたようです」
「ファルツ伯は相当の切れ者ですよ。皆あの見掛けに、ころりと騙されて痛い目にあうのですがそれを気づかせない。だからこそ陛下の側に欲しいのです」
「ふむ、確かに敵に回すよりもその方が断然得ですな」
「ええ、ええ。だから私の親類との縁談を持ちかけたのです!」
 ウィンザー公は好奇に目を輝かせ、宰相は眉間に深い谷間を作った。
「では、今回は宰相殿の負けのようだ」
「さよう、断る理由に使ってくるはずです。断念せざる終えません」
「簡単に負けを認めてしまうので?」
「強く出て、これ以上王宮から足を遠退かせるのは賢くありません」
「心理ですな」
「おそらくファルツ伯は、こちらの心情を見抜いています。腹立たしい事に」
 悔しげにする宰相だったがその表情に暗い色はない。
 純粋にファルツ伯との才略を楽しんでいるような様子さえある事にウィンザー公は僅かに驚いた。
 リコ・シュタインという宰相はウィリアード一世が王座にあったときに、その才能を買われて今の地位についた。
 当時のシュタイン伯の末子であり、幼い頃から神童と呼ばれていた為か、同年代にリコと肩を並べられる人間は居なかった。
 それは宰相となっても変わらなかったのだが、ファルツ伯がいた。年下ではあるがファルツ伯は宰相が高年になってからやっとできた知謀を楽しめる相手なのだ。張り合いがあるのだろう。
「お前たち、ここで何をしているんだ」
 宰相とウィンザー公は、驚いて振り返った。
 有翼の間への入り口である大きな観音開きの扉を、控えていたのだろう侍従が外側から開けている。そこには国王が紛然として立っていた。
「この俺一人に執務を押し付けて、二人で密談とはいい度胸だ」
 獰猛に笑う国王にウィンザー公は戯けて言った。
「これはこれは陛下、事実無根ですよ。ただ、此の度ファルツ伯が養子をとられるとの事を宰相殿にご報告しておりましたまでです」
 国王は、ぴくりと眉を動かすと無表情のまま片手を振って侍従を下がらせた。そのまま有翼の間へと入り長椅子に腰を下ろす。
「初耳だな」
「用意周到に事を企てたようです」
 宰相がウィンザー公から聞いた状況と自分の推測を話し終えると国王は片手で顎を擦った。
「成程、してやられたか」
「面目ございません」
「まあいい。ファルツ伯の養子の件は好きにさせておけ」
「よろしいのですか?」
「今は様子見というところだ。それよりも他にやることがあるだろうが」
 国王は、腕を組んで宰相を一瞥した。
「コルスタンの方はどうなっている?」
「それなのですが、どうも思わしくありません」
「難航しているのか」
「いえ、そういう訳ではないのですが…」
 口篭る宰相に国王もウィンザー公も疑わしげに視線を送った。
「返答は来たのか?」
「はい」
「成らばなんと書いてあったんだ」
「それが…、どうも判断に困りまして」
「御託はいい。簡潔に言え」
 この人にしては珍しくしどろもどろとしていたが、意を決したように「では…」と続けた。
「赤薔薇は王家と共に存続す」
 国王とウィンザー公は目を点にした。
「なに……?」
 宰相はこの人には珍しく居心地悪そうにしている。
「ですから、『赤薔薇は王家と共に存続す』とだけ……」
「それは…なんとも…。簡潔すぎではありませんか?」
「はい、私も書簡を開けてみてそう思いました。寧ろ、ふざけているのかと本気で思いました」
「ですよね、赤薔薇はヴィクトリア王家の紋章であり、王家と共にあるのは言わずもがなです。一体コルスタンの領主殿は何を考えているのでしょうか」
「深読みすれば行方不明の赤子のことを示唆しているのかもしれません」
「しかしそれにしては……」
 国王の右腕と左腕が意見を出し合うなか、国王だけは口を貝のように閉じたまま微妙だにしなかった。
 藍色の瞳が揺れ動く。
 赤薔薇と聞いて真っ先に脳裏に浮かんだのは一人の幼女だった。
 黄金の髪と深紅の瞳を持った妖精のような子供。優しい思い出。汚れてしまった世界の中で唯一美しい記憶。
 赤薔薇をくれた思い出の君。
 国王は瞼を硬く閉じて脳裏に浮かぶ幼女を消した。
「ばかなことを……」
 馬鹿なことを考えた。
 ぽつりとした国王の呟きは、未だあーだこーだと意見を言い合っている宰相とウィンザー公には届かなかった。


  

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