v i t a

汝、その薔薇の名

7.赤燐の盗賊 2


 ピクシーはぶるりと震えた。
「それにさっきおまえの声に応えたのは風の精シルフだった。あいつらに声を届けるなんて…あいつらがそれに応えるなんて、ありえないのに」
「彼女たちが応えてくれるかどうかは、わからなかったよ?」
 その証拠に、エリーゼに興味を持ち近づいてきてもすぐに離れていった者だっていた。
「私は賭けに勝っただけ」
 シルフも妖精に負けず劣らず気紛れで、移ろいやすい精霊だ。ただ好奇心が強いのも本当の事。エリーゼに興味を持ち、少しばかり手伝ってやってもいいだろうと思ってくれたシルフがいただけのことだ。
 ピクシーはエリーゼを凝視した。
 その大きな目の奥に、目の前にいる人間は本当に人間なのだろうかという疑問とわけのわからない本能的な恐れが過ったが、ピクシーはすぐに立ち直って結局エリーゼの事を不思議な人間と位置付けることにしたらしい。
「おまえ、おいらたちの住み家を知ってるなら帰り方も知ってるか?」
「方向はわかっているんでしょう? なら歩いて帰ればいいんじゃない」
「それじゃあ時間がかかりすぎるんだい」
 むすっと拗ねてみせるピクシーにエリーゼは腕を組んで考えた。
 ゴート・フェルはアスタインよりもさらに北にある。
 ここノスタルジアからならば、アスタインの方向から行くよりも、ミッドラン平原を迂回して山岳地帯沿いから行く方が早く着けるだろう。
 エリーゼはしゃがみこみ、そのあたりに転がっていた木の枝で、地面にがりがりと簡単な地図を描きながらそれを伝えるとピクシーは思案顔になった。
 一人と一匹してああでもないこうでもないと話し合っているのを二頭の馬は後ろから呆れた様子で見ていたが、赤毛の馬が何かに気がついたように耳をバタつかせた。
 知的な瞳をまるで人間のように周囲にめぐらせてから赤毛の馬はエリーゼに歩み寄り――その際、ピクシーをぎろりと睨むのを忘れず――その肩に鼻面を擦りつけた。
「どうしたの?」
 顔をあげたエリーゼに訴えるようにして小さく鼻を鳴らす。
 エリーゼは真顔になると油断なく辺りを窺った。
 エリーゼの緊張感を嗅ぎ取ったのか、もう一頭もエリーゼに近寄ってきて優しげな瞳を心配そうに曇らせた。
 ピクシーはくんと鼻を嗅いだ。
「おい、人間が来るぞ」
「うん」
「一人じゃないぞ」
「そうみたい」
「嫌な臭いがする」
 ピクシーがうげっと吐き捨てたと同時に茂みをがさりと割ってやってきたのは見るからに人相の悪い男たちだった。
 五人。内四人は短刀を腰に下げ、一人は背中に弓矢を背負っている。ざっと見てエリーゼは立ちあがった。
 驚いたのは身なりの悪い男たちだった。森の中に二頭の馬――ピクシーは見えていない――を連れた美しい少女が突然現れた…ように彼らには見えたのだから。
 しかし、驚いたのは一瞬で、すぐに男たちはニヤリと下卑た笑みを浮かべてエリーゼをまじまじと観察し始める。
「おいおい、どういうこったこりゃ」
「こんなところに娘っ子が一人で何してるんだ?」
 男たちは口々に言いたいことを呟き、エリーゼの側にいる二頭の馬を指さした。
「おい、見ろよ! 立派な馬じゃねぇか!」
「今日はついてるぜ」
 四人の男たちが高揚しているのを、一歩後ろから見ていた弓矢を持つ男が口を開く。
「お前、一人のようだが、こんな森の中で何をしていた」
 エリーゼはその男に視線を合わせる。男は不精な男たちの中では異質だった。大柄というわけではない、だが、均等のとれた体躯はしなやかで俊敏そうだ。手は大きく指も長い。癖のない綺麗な黒髪は、肩までの中途半端な長さだ。邪魔にならないように後ろで束ねている。
 表情筋がないのではないかと思うような見事な無表情だが、油断なく輝いている瞳に見つめられ、エリーゼは困ったように眉を下げる。
 赤毛の馬を暴走させていた妖精を止めるために追ってきたはいいが、それをそのまま言っても男には意味をなさないだろう。
 なにかいい返答はないかと考えてみる。
「迷子か?」
 エリーゼの沈黙をどうとったのか、男は無表情のまま聞いてきた。
 確かに夢中で馬を走らせていたのでエリーゼは今自分がどこにいるか把握していなかった。
 しかし、自分では森の中で迷っているつもりもないし、迷う筈がないと――森には道案内をしてくれる動物たちがいるので――自覚している。
 だが、男から見たら立派な迷子の他でもない。
「えーと…、迷子…かな?」
「………」
 だからエリーゼはそう答えてみたのだが、男の望む答えではなかったようだ。男は何も言わなかった。内心を顔に出しもしない。完璧な無表情だ。しかし、エリーゼにはわかった。
 男はエリーゼを疑っている。何を疑っているのかまではわからないが、エリーゼを警戒しているのが分かる。
「お嬢さん、迷子なのかい?」
 何故だろうとエリーゼが疑問に思っていると他の男がニヤニヤ笑いながら聞いてきた。
「そうなるのではないでしょう…か?」
 何故疑問形?
 弓矢の男の声なき心の声が聞こえてくるようだったが、他の男たちはエリーゼの奇妙な答えを気にも留めなかった。
「そりゃあ大変だろう、オレたちと一緒に来な。案内してやるよ」
『嘘だな』
 先程からつまらなさそうに地面に転がっている小石を蹴っていたピクシーが唐突に言った。
『こいつら嘘をついてるぞ』
 エリーゼは心の中で同意した。
『こいつら、おいらの嫌いな臭いをぷんぷんさせてる。鼻がもげそうだ!』
 ピクシー族の性格は比較的わかりやすいと言えばわかりやすい。彼らは勧善懲悪的なのだ。
 ピクシーは善人には良い事を、悪人には悪戯をして困らせるという傾向にある。それは“ガリトラップ”と呼ばれるピクシ―のフェアリー・リングにも顕著に表れている。
 あらゆるフェアリー・リングには、片足を入れると妖精の姿が見え、両足を入れると妖精の世界に捕らわれる力が働いているが、“ガリトラップ”の場合は悪人が片足を入れただけでも妖精たちに捕らわれて死刑にされてしまう。
 そんなピクシ―が嫌いな臭いだと主張する目の前の人間たちが善人でないことは明白だった。
「案内は必要ありません」
「必要ないって? こりゃ傑作だ!」
「お嬢さん、この森は結構深いんですぜ、素人が迷子になったらなかなか出られねぇ。その点、オレたちゃあこの森を知ってる」
「本当に必要ないんです」
 弓矢の男が「他に連れがいるのか?」と投げかけてきたので頷いた。
 今は一緒ではないが、ミハエルとマギステル卿という連れがいる。嘘ではない。
 男たちは軽薄なお喋りをぴたりとやめた。
「連れがいるのか」
「おい、なら戻ってこないうちに済ませるぞ」
「まて」
 舌打ちした男が他の男たちに合図しようとしたが、弓矢の男が止めた。
「なんだ?」
「見たところ二頭の馬はよく調教された馬だ。軍馬かもしれない」
「それがとうしたってんだ」
「この付近で軍馬といえばノスタルジアしかあるまい。ノスタルジアの馬だとして…盗むとなると厄介だぞ。それにこの娘の身なり…、ただの町娘にしては良すぎる」
「へっ、ノスタルジアの領主の娘だろうよ」
 そう言って男はエリーゼを舐めまわすように見た。
「見ろよ、あの見事な金の髪を! 顔も上等だ。高く売れる」
「見目が良すぎるとは思わないのか」
「ああ?」
「それにノスタルジアに領主はいない。居るのは領主代行を命じられた馬頭だ」
「だからそれがなんなんだ!? こんな機会はめったにねぇんだ、黙ってろっ」
「そこまで言うならばもう何も言わん。…―――面倒な事になっても知らないぞ」
 弓矢の男は引き下がった。
「お前らは馬を押さえろ」
 男たちが近付いてきたのを見て、溜息をついた。自分は外に出るたびに誘拐される運命なのだろうか…。なんか嫌だな。まあ、こういう展開になるだろうとは予想がついてはいた。しかし、前回とは違って今回は意識がある。みすみす捕まる気はない。もちろん抵抗はする。
 エリーゼの秘かな決意と同じく、赤毛の馬もやすやすと捕まる気はなかったようだ。
 馬に近づこうとした男たちだったが、赤毛の馬が前足を振り上げ暴れたため慌てて下がる。みるからに脚力の優れた馬の一撃をくらえば脳震盪ではすまされない。
 もう一頭も意外と奮闘した。赤毛の馬の邪魔にならないようにしながらも後ろから近づこうとしていた人間に後ろ足で蹴りを繰り出して威嚇した。
「お前ら何手こずってやがる! さっさと捕まえろっ」
 二頭の馬になかなか近付けない仲間に、エリーゼを捕まえようとしていた男が激を飛ばした。
 エリーゼは一歩下がり仲間たちを無言で眺めている弓矢の男をちらりと見た。
 彼は手を貸すつもりはないらしい。それは好都合だった。この男たちの中で一番警戒しなければならないのは、おそらく弓矢の男だ。
 彼が一番危険な気がする。ただの勘だが。
「お嬢さん、おとなしくしてな。そうすりゃ手荒にはしねえ」
 さてどうしよう。
『おい』
 すぐそばで聞こえた声にエリーゼは「お?」と呟いた。
 いつのまにか地面から移動していたピクシーが、エリーゼの右肩にちょこんと座っていた。
『ちょっとじっとしてろよな』
 なにをするつもりなのかピクシ―は『ウケケ』と笑う。
 地面を見て納得し、近づいてくる男に同情したのと同時にエリーゼに手が伸ばされた。
 しかし、男の手がエリーゼに触れることはかなわなかった。男は「うっ」と呻き、そのままの姿勢で数秒固まり、じわじわと脂汗を体内から排出した。
 エリーゼは静かに男を見つめ、視線をその足元へと下ろす。
 地面には小石が歪な曲線ながらもある一定の法則にしたがって並べられ、フェアリー・リングが出来上がっていた。
 そのフェアリー・リングの中へと両足を入れてしまった男の目には、もうすでにエリーゼは見えていない。見えるのは人の世とは違う―――…妖精の世界。
 小石でできたフェアリー・リングから鋭い棘をもった蔦がぐねぐねと意志を持って伸び、男の足にがっちりと絡みついている。
 棘は男の両足から自由を奪い、さらに伸びていく蔦が男の全身へと這いずっていく。男を呑込むために。
 この森に隠れていた妖精たちの嘲笑が聞こえてきた。
 エリーゼは男の目から段々と生気が無くなってくのがわかった。
 口の端から涎をたらし、白目を剥いた男はどさりと地面へ無力に横たわった。
『うげ、こいつの魂とっても汚いぞ。悪行を重ねた証拠だな。ケケケ…、こいつの魂はおいらのもんだ。さてどうしてやろうかな』
 さぞ、ピクシ―はギラギラと貪欲な目つきをしているに違いない。肩にいるから見ることはかなわないが、すすんで見たいとも思わなかった。
 妖精は時に悪にも善にもなる。妖精はある意味鏡と同じだ。自分を映しだし、それが跳ね返ってくる。しかし、鏡は無害だが、妖精は大変危険だ。
 悪意を持ってその前へと躍り出たが最後、向かってくる牙は対処の仕方を知らない人間には避けられないのだから。
 突然地面に倒れ込んだ男に、仲間たちは驚いた。
「どうしたんだ!?」
 駆け寄ってくる男たちの隙をついて逃走を試みたエリーゼだったが、ヒュンと飛んできた矢に動きを止める。
 危なかった。そのまま走りだしていたら、完璧に命中していただろう。足元に深々と突き刺さった矢にエリーゼはさっと顔を上げた。
 今までだんまりを決め込んでいた男がエリーゼに向って弓矢を向けていた。
 油断なく弓矢を構えている男とエリーゼは睨み合っていたが、はっと気がつき、他の男たちが倒れた男に駆け寄る前に、フェアリー・リングを造りあげている小石の一部分を蹴った。
『あ――――っ!』
 ころころと四方八方に転がってく小石。途端、エリーゼの眼に見えていた妖精の棘蔦は砂のようにぼろぼろと消えていく。
『ほんと何すんだよおまえ!』
 ピクシーがエリーゼの肩の上で手足をバタバタさせてぎゃーぎゃー騒ぐ。
『せっかく作ったのに! せっかく捕まえたのに!』
「…ごめんね」
 ぽつりと独り言のように呟く。
 男たちが倒れた男の身体を起こしたり、肩を揺らしたりしていたが、反応はない。
 間一髪だった。他の人間も巻き込んでしまうところだった。だが、それでも男の魂を完全に解放するには至らなかったようだ。
 妖精に捕らわれた人間を解放するのは容易なことではない。魂が肉体に戻ることができたとしても、これまでのような人格には決して戻ることはないだろう。
「何をした」
「……?」
 きょとんと瞬くエリーゼに男は静かに問う。
「はぐらかそうとしても無駄だぞ。そいつに何をした」
「私は何もしていません」
 弓に構えた矢の先をエリーゼに向けたまま、男は視線をずらした。
「おい、息はあるのか?」
「ああ、息はしている。だが…」
 男たちには何が起こったのかさっぱり分からないようだった。誰もが困惑している。それまで元気に活動していた人間が理由もなく意識を失ったのだから当たり前だ。
「殺したわけではないのか?」
「どうして私に聞くんですか?」
 男の問い掛けが不思議だった。男は原因が、もしくは理由をエリーゼに聞けばわかるとでも言うようだった。だからそう尋ねた。
「他の奴らは馬を相手にしていた。こいつと相対していたのはお前だ。それが急におかしくなった。一番疑わしいのはお前だろう」
「確かに」
 男にとってはそれが事実だ。傍から見れば奇妙な光景だっただろう。エリーゼは納得した。
 男は微かに目を見開いた。
「おかしな娘だな。妖の類かと思ったが…」
 男の視線が地面をたどる。
「どうやら違うようだな。目には映らぬ者がいるのか?」
 今度はエリーゼが目を見開く番だった。
 この人…やっぱり危険だ。
 普通の人間ならば気がつかないことに気がつき、受け入れられないことを理解する頭を持っている。
 エリーゼは本格的に逃げることを考えた。いつまでもぐずぐずしているのは不利になるだけだ。
 じりっと一歩下がったエリーゼに男は唇の角をつり上げた。
 無表情だった男が初めて現した感情の一端だった。
「逃げようとすならば射る。痛い思いをしたくなければ抵抗しないことだ。俺は女子供でも容赦はしない主義だ」
「そりゃ不逞奴だ」
 その場に振ってきた声に誰もがギョッとした。
 その一瞬を狙い澄ましたかのように風を切って棒状の鋭い寸鉄が飛んできた。
 一番先に我に返ったのはやはりというか弓矢の男だった。飛んできた寸鉄を身をよじるようにして回避したが、最後の一本を躱すことはできなかった。
 男の頬に赤い線が滲むが、怯むことなく反撃に出た。弓を構え、ナイフが飛んできた方向へと連射する。
 それは空からやってきた。…違った。木の上からやってきた。
 太い木の枝から跳躍し、籠手に刺さった矢を抜きとって放りながらニヤリと不敵な笑みを浮かべる男を見て、エリーゼはびっくりした。そして何故か弓矢の男も驚愕したらしい。隙ができる。それを突然現れた男は見逃さなかった。
 一瞬うちに勝負がついていた。
 弓の持ち手を強か打たれ、櫛状の峰がある鋭く輝く短刀の先端を喉に突きつけられても男は無表情だった。本当にこの人の表情筋はどうなっているのだろう。エリーゼは真面目に不思議がる。
「形勢逆転ってやつだな」
 仲間を人質に取られても動こうとしていた他の男たちだったが、間髪を入れずに飛んできた寸鉄に硬直する。
「ま、おれは善人じゃないが悪人でもないんでね。見逃してやるよ。倒れてる奴連れて行きな」
 にやりと笑う男にエリーゼを襲おうとしていた男たちは勢いをなくし、あたふたと倒れた男を担いで逃げ出した。
 後に残されたのは突然現れた男と不思議な形状をした短刀を喉に突きつけられているのに無表情な弓矢の男、そしてエリーゼだけとなった。
「置いてかれちまったな、お前」
 面白そうに言われて弓矢の男は嘆息した。
「仲間といっても俺は最近は言ったばかりの新入りなので。それはそうと、いい加減この物騒なものをのけてくださいランス」
 ランスと呼ばれた男はすっと短刀を退かした。
「で? サフィア、お前はこんなとこでなにやってんだよ」
「まったく…それはこっちの台詞だ」
 やれやれと肩を竦めた弓矢の男と笑っている突然現れた男は知り合いのようだ。エリーゼは彼らが会話をしている間にとんずらしようとしていたが、男二人はエリーゼを意識の隅に置いていたらしい…阻まれた。
「おっと、まちなってお嬢さん」
 腕をつかまれてしまった。いつ動いたのだろう。この男――ランスは動きがしなやかで素早い。まるで猫科の動物のようだ。それも大型。大きな身体でもしなやかに動き自在に獲物を狩る姿と似ている。
「一人でふらふらとうろつかない方がいいぜ。またあいつらのような無頼漢に襲われたいのかい?」
「一人じゃないです」
「うん?」
 ランスはエリーゼの背後にいる二頭の馬を一瞥した。
「確かに頼もしい活躍してたな」
「…いつからいたんですか?」
「お嬢さんが絡まれてた時だから…、始めから」
 あっさり言われた。
「最初は助けるつもりはなかったんだよな、面倒だし。見てる分には面白かったから見物してたけど」
 悪びれることなくあっけらかんと言われてもエリーゼは怒ったりしなかった。その代り軽く頭を下げた。
「助けてくれてありがとうございます」
 驚かれた。それはもう目を真丸く見開いて凝視される。
 この人の身なりも先程のならず者とそうたいして変わり映えはしていない。頭を覆うターバンに、着古されているが動きやすい旅装束。
 慣れた様に手でもてあそんでいたナイフはいつの間にかどこかに消えている。恐らく衣服の下に隠されているのだろう。腰には短刀が鞘に入れられて鎮座していた。
 褐色の肌は元々なのだろうか。瞳は猫の眼のようにキラキラと色を変える綺麗な琥珀色。鼻筋の通った顔立ちは中性的だが、身体つきは中肉中背。成人男性の標準だ。
 それにしても始めからいたなんて。気配はまったく感じられなかった。首を傾げているエリーゼの肩でピクシーは嫌そうにランスを見ているが、悪態はその口から出てきていない。
『こいつ苦手。あまり近づきたくない』
 ピクシーはぼそっと呟いた。エリーゼはそうかもね、と思った。
 ランスが現われて弓矢の男――サフィアが何故驚いたのかはわからないが、エリーゼがびっくりしたのには理由がある。
 何故ならこの人を見た瞬間、この男を包む炎が見えた。それは燃え上がる前の静かな火だった。陽炎のように実体のない炎だったが、エリーゼには視えたのだ。
 それはまだ火種のようにバチバチとくすぶっているだけのようでも、爆ぜる炎へと一瞬で変化するだろう火をこの男は内に宿している。
 この人はきっと炎に関する加護を持っているんだろう。
 いったい何の加護だろう。火蜥蜴サラマンダー? それとも火竜ドラゴンだろうか?
 なんにせよ、妖精にとってこの男が宿す炎は嫌厭しがちなものだろうことは分かる。
 下級の妖精がうかつに近寄れば火炎にのみ込まれて灰さえ残さずに消されてしまうぐらい、強い加護だ。
「…変わってるな、あんた。おれに礼を言うんだ? 見捨てたかもしれない相手だぜ?」
「人は誰だって面倒なことには関わりたくないと思うものなんでしょう? でも貴方は関わってくれたし、そのおかげで私は助かりました。それが私にとっての事実ですから」
「ふーん?」
 ぼりぼりとターバンの上から頭を掻いて、ランスは奇妙なものを見るようにエリーゼを観察していたが、ニッと唐突に笑みを浮かべた。
「気に入った」
 きょとんとするエリーゼの頭をわしゃわしゃとかき混ぜると、いそいそと木に吊るしてあった荷物を取りに行く。
 力を加減されず撫でられたので、ちょっとふらふらしているエリーゼのところへ戻ってくるとランスは手に持っていた帽子をエリーゼにかぶせた。
 エリーゼが落とした帽子だ。
「あ、これ…私の…」
「拾った。落とし主を探してたら絡まれてるあんたを見つけたってわけだ。やっぱりあんたのだったんだな」
「はい。重ね重ねありがとうございます」
「おう。存分に崇めな」
 頭の上の帽子の角度を調整するエリーゼを見てランスは満足そうに頷いた。
「関わったついでだし、この森から出してやるよ。どうせノスタルジアの方面から迷い込んだんだろ」
「ランス!」
「なに?」
「何じゃない」
 提案したランスにそれまで無言だったサフィアが口を開く。
「お前、今現在の自分の立場を分かっているのか?」
「あー…?」
「その気の抜けるような返事をどうにかしろ、まったく」
 サフィアは眉間を押さえてふう…と息をつく。
「そんなことしている場合ではないだろう。その娘には連れがいるらしいし、放っておいても迎えが来るだろう。関わるべきではない」
「薄情な奴だな」
「現実的と言え、現実的と。だいたい、お前はそれどころではないだろう。お前はできるだけ早くエルダランから離れなければならないんだぞ」
「急がば回れって言うだろ? 少しぐらいの道草ぐらいどうってことないさ。この森からこのお嬢さんを連れ出すだけだ。何がいけないんだ?」
「………」
 サフィアはエリーゼに聞こえないように声をひそめた。
「お前…自分が追われているという自覚があるのか? 逸れたお前を探すために俺がどれだけ苦労したと思っているんだ」
「ああ、ならず者の真似ごとまでして?」
「茶化すな。この娘を巻きこむかもしれないという危険性を考えろ」
 ランスは眉を顰めた。口調が自然と硬質になる。
「だからといってこのまま放っておくのは寝覚めが悪い。案内だけだ。この森を出したらすぐに離れる」
「……仕方がないな」
 ランスが折れない様子をみてサフィアは肩を竦めた。


  

Image by tbsf  Designed by paragraph
inserted by FC2 system