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汝、その薔薇の名

7.赤燐の盗賊 8


 国王は探るような目を向けた。
「どういう意味だ。それではまるで王女が生きているような言いぐさではないか」
「はい、まさにシャルロン王女は生きているのです」
 宰相が目を丸くする。
「しかし、エルドランの王女は荒波の海に転落したのでしょう? それが生きているとは信じがたいのですが…」
「我々もその驚愕の事実を知ったのはつい最近なのです。もはやシャルロン王女の生死は絶望的だと誰もが思っていました。しかし、王女は生きていたのです。遠く異国の地リビアラで」
「リビアラ?」
 ウィンザー公が驚いたような顔で聞いた。
「あの中央大陸の南端にある? 灼熱と砂漠の国と呼ばれる異教の国ですか?」
 サンスルワット伯は重々しく頷くともう一人の従騎士に扮しているがたいの大きな壮年の男を紹介した。
「彼はシェフラット城の国境警備隊団長カルロ殿です」
 レッド・ボワ城がエルドランとヴィルバーンの国境を守るヴィルバーン側の城塞とするならば、シェフラット城はエルドラン側の防衛拠点である。
「彼の話を聞いていただければ納得していただけるはずです」
 合図を受けて騎士は話し始めた。
 その話にまたも一同は度肝を抜かれることとなった。
 ニ十年前の夜、海に突き落とされたシャルロン王女は偶然その海域を航海中だったリビアラの貿易船に助けられた。
 幼い頃から海に慣れ親しんでいたとはいえ、海中に長時間浸かり、最後にはほとんど溺れかけていたので救助された時には意識が朦朧としており、王女は自分の身分を明かすことはおろか、話すこともままならない状態だった。何故海の中にいたのか、寒さと心労に震えて説明できなかったのだ。それに加え、夫になった相手に殺されそうになったことによって極度の精神的情緒不安定となり、そのまま失神。何日も熱に魘されていた。そのため、気がついた時には既に遅く、船が辿り着いた先は母国から遠く離れたリビアラだったという…。
「まるで実際に見聞きしたように喋るではないか」
「私にこの話を聞かせてくれた人物はシャルロン王女からそう聞いたのです」
「その人物とは誰だ」
「……彼の名はランスロット・ベンウィック――リビアラの君主の妃となったシャルロン王女の息子です」
 唖然とする宰相の横でいち早く我に返ったウィンザー公が身を乗り出す。
「申し訳ない、今、なんと言いました? 聞き間違いですかな、シャルロン王女がリビアラの君主の妃?」
 カルロは子供に言い聞かせる辛抱強い教師のように繰り返した。
「間違いではありません。リビアラへとたどり着いたシャルロン王女はリビアラの君主の目に留まり、求愛され、子を生んだのです。それがランスロット・ベンウィック、御年十九歳となるエルドランの王位継承者です」
「そんなばかな! エルドランの王女はルドルフ国王と既に結婚しているのですよ? 重婚ではないですか、法的に認められるわけがない」
「勿論です。エルドランの法でも重婚は認められることではありません」
 目を剥く宰相にサンスルワット伯がまあまあというように両手をあげて柔らかな声で諭した。
「しかしながらリビアラは異郷の地。あちらでは少々変わった風習があるらしいのです」
「ほう? それはどんな風習なのですか?」
 興味津々にウィンザー公は尋ねた。
「リビアラでは伴侶から名誉や誇りを著しく傷つけられた場合、もしくは暴力的被害を受けた場合には離婚が可能なのです。それは男性だけではなく、女性から申立てたとしても認められるのです。シャルロン王女はあちらの神殿に抗告申立てを提出し、受理されています。つまりシャルロン王女はルドルフ国王と既に離婚しているということになりますので、リビアラの君主と婚姻の儀を執り行ったとしても法的に何の問題もないということになります」
「なんとっ」
 宰相が言葉につまるのも無理はない。
 荘園に住む小作農の娘たちが結婚する時は当人たちの意思や気持ちがくみ取られることもあるが、貴婦人の縁談ともなれば重大だ。好き嫌いで決められることではなく、ほとんどが政略婚である。
 エルドランのシャルロン王女とルドルフ国王の場合もそれに当てはまる。何代か前のエルドランの王女が降下したこともあるぐらい王家と密接につながっている公爵家の生まれであるルドルフは、身分も血統も申し分のない花婿だった。
 こうした身分の高い者同士の政略結婚の場合、婚姻無効を申立てることはできても――必ずしも婚姻の無効が認められるとは限らない――法律の上では離婚は認められない。
「そんな無茶な言い分が通るなんて…」
「通ったのです。リビアラの君主がそれを求めた。あの国ではそれが全てなのです。通らない筈がありません。とはいえ、我々も一年前まではそんなことになっているなどと想像もしませんでしたが」
「ちょっといいか?」
 国王が割って入る。
「些か信じがたい話だが、可能性がないわけでもない。シャルロン王女が生きていて息子がいた。そう仮定するにあたっての根拠は何だ? そのランスロットとやらがシャルロン王女の息子だという証拠があるのか?」
「あります。彼はシャルロン王女が継承した王家の指輪を持っています。それに話を聞いてすぐにリビアラに確認に行きました」
 サンスルワット伯は肩を竦めてみせる。
「あちらはお国柄、異性との対面に神経質のようで会うのに苦労しましたが、行った甲斐がありました。報われました。確かにシャルロン王女本人と確認しました。あの方は生きておられた」
 感慨深く囁きサンスルワット伯は瞳を潤ませた。
「…いいだろう。シャルロン王女は生きていた。その息子がエルドランに戻ってきた。お前たちは現在の国王ではなく、王家の血を引く直系を王位につけたいわけだ。そこまでは理解できる。解せないのは、ヴィルバーンにまできて何故それを言うかだ。シャルロン王女の息子を何が何でも王位につけたいならば、武力政変でもすればいい。自国の面倒ぐらい自分たちでみろ。いったい我々に何を求めているんだ?」
「身内の恥は承知の上です。恥を忍んでお願いに参ったのには理由があるのです。……実はランスロット様は現在このヴィルバーンにいらっしゃるのです」
 口元をぎゅと引き締め、国王は苦々しげに顔を顰めた。
「どういうことなのか説明してもらえるのだろうな?」
「はい、事は一年程前までさかのぼります。その頃、一人の盗賊が出没するようになりました」
「ベン・グレンの盗賊」
 ぽつりと呟いたウィンザー公にサンスルワット伯が頷く。
「エルダランの国境付近に現れる神出鬼没の盗賊を捕まえるために国境警備隊に命令が下り、カルロ殿が兵を率いました」
「当初、盗賊の捕獲にそれほど時間がかかるとは思っておりませんでしたが、我々の思惑は大きく外れることになりました」
「その盗賊の事ならば度々噂を聞くが、それと今回の件とどういう関係があるんだ」
 サンスルワット伯はじっと国王を見つめた。まるでそれで言いたいことが伝わるというように。その真剣な視線を受け止めた国王は暫し沈黙した。室内に緊張が漂う。
「ベン・グレンの盗賊がランスロット・ベンウィックなのか?」
「はい、まさしく」
 沈黙を引き裂いて唐突に国王が口を開いた。宰相とウィンザー公がまさかといわんばかりに国王を凝視する。深く息を吐いてサンスルワット伯が国王の言葉を肯定すると彼らは絶句した。
「彼は最初、名乗るつもりはなかったのです。むしろ、出来るだけ自分の出生を公にしたくないと考えているようでした。彼が何故盗賊として活動しているのかは不明ですが、確かなことが一つだけあります。彼の目的はエルダランの王宮にあったのです」
「その目的とは?」
「王太后陛下に会うことです」
 答えたのはカルロだった。太い眉が悲しげに下がる。
「彼は王太后陛下に王家の指輪を返したいのだと言いました。母親に頼まれたのだと。彼はその為に私に接触してきたのです」
「その報告を受けて我々は調査を開始したのです。そして彼がシャルロン王女のご子息だと確信した我々は王太后陛下とランスロット様をひき会わせました」
「人目を避け内々に王宮へと手引きするためには国王側の《シュヴァリエ》の目を欺く必要がありましたが、二人は無事対談することができました。王太后陛下は本当に喜んでおられた…」
「王太后陛下はランスロット様にエルドランを譲りたいと考えているのです。ご本人は渋っておられましたが、本来、ランスロット様の王位継承権は第一位なのです。王太后陛下の後見と神殿の承認が得られればランスロット様は間違いなく王位につけるでしょう。…しかし、我々の動きが国王側に漏れてしまい、ランスロット様の存在をルドルフ国王に知られてしまった」
 食いしばった歯の間から悔しそうな音が漏れる。
「ルドルフ国王はランスロット様を亡き者にするため、追手を放ったのです。それに気がついたランスロット様はエルドランから姿を消しました。それでもなんとか行方を探り、今はヴィルバーンに身を隠していることを突き止めたのです。なんとしても国王側よりも先にランスロット様を保護したいのです。どうかお力をお貸しください」
「エルドラン内部の権力闘争に介入しろと?」
 もうずっと癖になっている渋面のまま、国王は押し殺した溜息をついた。
「話を聞く限り、内乱に発展するかもしれない危険な状況ではないか。そんな他国の王位継承問題に簡単に手を出すことはできない」
「それはわかっております。しかし、注進させていただけるのならば、早々に手を打った方がいいと思われます」
 国王の容貌には優しげなところは一つもない。その表情が一層冷やかになる。
「それはどういう意味だ」
「我々が認識している情報では、ルドルフ国王はもうすでにヴィルバーン国内に兵を侵入させています」
 これには宰相となによりウィンザー公が気色ばんだ。
「こちらに何の報告も来ていないぞ! 国境を越えて兵を侵入させているということは、敵対行為とよみとれるがどういうつもりだ。不可侵条約を破るおつもりか!」


  

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