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汝、その薔薇の名

7.赤燐の盗賊 9


 テーブルを拳でドンと叩きつけ憤然とするウィンザー公を国王が片手をあげて制する。
 ウィンザー公は渋々といった風体でひきさがり――だが、その眼は厳しいまま――前のめりになっていた体を元に戻した。
 深い溜息を一つ吐き出した国王の濃い藍色の瞳が冷酷に陰る。するとどうだろう、藍色に見えた瞳の色がずっと暗くなり虹彩に散りばめられた金茶色の模様がぎらりと輝いた。
 見る者をぞっとさせるような酷薄さが増し、正面に座っているサンスルワット伯は射すくめられた獲物のように重力がかかるのを感じた。
 これが噂に聞くヴィルバーン国王の鷹の眼だ。本気になった証拠――とはいえ、その実力の一端しか見せていない。
 彼は一切の容赦をしない冷酷無慈悲なヴィルバーンの大鷹だ。
 その足にがっちりと捕まった獲物に待つのは死のみ。鷹は獲物をもてあそばない。確実に殺す。生きるために殺し、殺すために捕らえる。目的は一つだけ。簡潔かつ確実だ。
 これがヴィルバーンの国王フォルデ・レオン・ディカルト―――力でもって玉座を制した男。
 両側の騎士が思わず身構え、無意識にだろう腰に手が伸びている。もっとも、帯刀していた剣はこの客室に案内される前に従事長に預けていたので武器はない。
 これまでこの国王の敵対者がどうなったのか嫌というほど知っているサンスルワット伯は両騎士を宥め、尚且つ目の前に座る国王の逆鱗にこれ以上触れないためにも、降伏を表すように両手を上げて軽く振った。
「誤解しないでいただきたいが、兵のヴィルバーン侵入に王太后陛下も我々も一切関与していません。これは完全にルドルフの独断です」
 国王はすうっと目を細め「続けるがいい」と促した。
「我々がヴィルバーンに内々に入国したのを追うように、エルドランの小隊が傭兵と身分を偽り検問を抜けたとルドルフの行動を監視していた仲間からの連絡がありました」
「兵または軍の進軍を行う際、事前に使者あるいは書簡によって相手側の承諾が必要なことが条約の項目の中に含まれていることをそちらの国王は見落としているようだな。それとも条約など尻に敷いておくものだと思っているのか?」
「ルドルフはヴィルバーンとの同盟を表立って壊す気はないのでしょうが、兵を他国に…それも同盟国に動かしたという事実は変わりません。エルドランに属する者としてこの場を借りてお詫び申し上げます。お怒りを鎮めるためにこの首をお望みならば、このレイモンド・マコルト喜んで差し上げる。それでエルドランとヴィルバーンの同盟に傷がつかないのならば安いものです」
 同行してきた二人の騎士が息を呑んだ。彼等が何か言う前にサンスルワット伯は身を乗り出して国王に訴えた。
「しかしその前に考えていただきたい。ルドルフはそれだけ切羽詰まっているのです。ランスロット様の存在が自分の地位を揺るがせると確信しているからこそルドルフは危険な賭けに出たともいえます。我々はルドルフの手の者より先にランスロット様を保護したい。そしてルドルフを王座から引きずり下ろす。二十年前や今回の事でもわるようにルドルフは目的のためならば手段を選ばない非道な男です。そのような男が信用できますか? いつヴィルバーンに牙をむけるか分からないような国王はそちらとしても邪魔なだけではありませんか?」
 国王とサンスルワット伯は睨みあう。
「目的は同じはずです」
 重々しい緊張に一同は黙り込む。
「危険な会話だぞ。お前は自国の国王に対して反旗を翻し、ヴィルバーンの国王である俺に同盟国の王を共に討とうと示唆している」
「危険はもとより承知の上です。覚悟はできておりますので」
 サンスルワット伯を無言のまま睨んでいた国王が、くっと喉の奥で笑う。
「よくもまあ抜け抜けと言い切る。エルドランの王太后とそなたのことだ…それなりの保険をかけ、確実にルドルフを廃する準備ができているのだろう? でなければそこまで言い切るまい」
 きらりとサンスルワット伯の瞳が悪戯に輝いた。
「その為にランスロット様が必要なのです」
「ふ…、狡賢い狐だな。お前の首などいらぬ。王太后の使者を首なしで返してみろ、それこそエルドランとの同盟はその場で決裂するに決まっている。それに戯言はもう聞きあきた……さっさと交渉を始めるぞ」
 サンスルワット伯は深く頭を下げた。
 二人の騎士もほっとしたように肩の力を抜くとサンスルワット伯と同じように深々と頭を下げた。


 静まった廊下に靴音が響く。
「陛下、よろしかったのですか?」
 廊下を歩く国王の後ろからウィンザー公が声をかけた。
「なにがいいたい?」
「他国の政治に介入するとなると事はやっかいです」
「エルドランに借りを作っておくのも悪くなかろう」
 振り向くことなくどんどん進んでいく国王にウィンザー公は顎を摩りながら嘆息した。
「しかし…ルドルフは狡猾ですが、使い方を間違えなければ扱いやすい国王です。据え替えるには惜しいのでは? それに万が一王太后派が失敗する確率もなくはありません。わざわざリスクを侵すだけの価値があるのですか?」
「俺は負ける賭けはしない」
 国王は鼻で笑う。
「無論、こちらとてそれ相応のものを貰わねば割にあわんがそれはもう決めてある。前々からエルドランの交易ルートには目をつけていた。このチャンスを逃す手はない」
「関税ですか」
 国王は前を向いたままなので、その表情を見ることはできないが、さぞ意地悪く笑っていることだろう。
「今頃、宰相が嬉々として取引に盛り込んでいるだろうよ」
 あらかたの取り決めと今後どう動いていくかを話し合った後、詳細な要所の詰めを宰相に任せ、国王とウィンザー公は先に青鹿の間から退出した。
「だいたい、俺の領土に俺の許可なく土足で入り込んできたルドルフのやり方が気に入らない。格下相手に侮られるのは我慢ならん」
「そちらが本音ですか」
 国王の傲慢なもの言いにも慣れた様に公爵は笑った。
 衛兵が恭しく一礼し扉を開けた。
 灯りが点ったままの執務室に国王とウィンザー公が入ると扉が静かに閉められた。
「エルドランの狐に乗せられている感も否めないが、当分は多めにみてやるさ」
 獰猛に笑いながら国王は長椅子に座る。その正面の椅子にウィンザー公は腰かけた。
「まったく…、次から次へと問題が飛び込んできますな。厄年かなにかですか」
「知るかそんなもの。降りかかってくる火の粉ならば振り払うだけだ」
「流石は我ら国王陛下です。しかしながら、念のためスブール殿に使いを出しておきました」
 国王は目を細めた。
「他国の兵と一戦交えることになるかもしれませんからね」
「好きにしろ」
 ウィンザー公は立ち上がり、黒檀で作られた立派な棚の奥に隠されていた蒸留酒を取り出した。
「上等なコルンですな」
「目ざとい奴だ」
「グラスは?」
「その下の段に隠してある」
 用意された酒を飲みながら国王は一息ついた。
「ルドルフが進軍させた兵を一気に叩きたいところだが、話を聞く限りではいくつかの小隊に分けられているようだ。少々難しいな」
「エルドランの王位継承者がどこにいるかわかれば、少しはやりやすくなるはずです」
「間諜は放った」
「もっと簡単な方法があるではありませんか」
「………スブールか」
 嫌そうな顔で吐き捨てた国王にウィンザー公は苦笑する。
「スブール殿を使うのが慣れませんか?」
「慣れの問題ではない。俺は魔術や魔導といった曖昧な手段は好かん」
「魔導師は使い方によって有用されるものです。ヴィルバーンでも代々重宝されてきました。その活用性は陛下も分かっておられるはず」
「お前は随分魔導師に傾倒しているな……、いや、スブールに心酔しているのか?」
「はて、なんのことやら」
 飄々と言ってのける公爵に国王は軽く鼻を鳴らす。
「まあいい。好みの問題はどうせ二の次だ。魔導師だろうが使えるものならば使うだけだ」
 いかにも現実的な国王らしい言葉だった。
「そろそろ来る頃だと思うのですが…」
 ウィンザー公の言葉にかぶさるように衛兵が王国付き魔導師の到着を告げる。
 裾の長いゆったりとしたローブを揺らし、静かに歩く姿は幽霊のように見えたが、毎度のことなので国王も公爵も大して気にしなかった。
「今晩はいい月夜ですな魔導師殿」
「………今、月は雲に隠れている」
 スブールはベールで隠された奥で長々と溜息をつくと、国王の方を向いた。
「お呼びと伺ったが…、用件は?」
「お前のことだからだいたいのことは察しているかもしれんが―――…」
 そう前置きすると国王はエルドランの事のあらましを説明した。
 途中で口を挟むこともなく、相槌を打つでもなく、無言のまま話を聞き終えるとスブールは静かに口を開く。
「些か気に障る鼠がうろうろとしていたので気になって占ってれば案の定…諍いを暗示するカードが出たので何かと思ってはいた。城内の空気がさざめいている原因はそれか」
「鼠…?」
 僅かに眉の端をあげて説明を求める国王にスブールは、長く幅のある袖の中から紐で括られているカードの束を取り出した。
「言葉のあやだ。気にすることはない」
 代々のヴィルバーン王国付き魔導師が継承する術式のため、この城を覆い守護する結界は現在スブールと繋がっている。なので城内の空気にスブールは敏感だ。それと同時に結界内で何らかの魔力が動く気配があれば、すぐに気が付く。
 こちらを探ろうとしているよく知った魔力を感じて、弾いてやったから今頃は癇癪を起しているかもしれないと内心で付け加える。
 あの淫魔は好かないが、害があるわけではないのだ。どうせ伯爵の意図があってこちらを覗いていただけだろう。だから手加減はしてやった。


  

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