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汝、その薔薇の名

8.月と太陽の廻り 5


 大きく口を開けて「あー!」と指さされたエリーゼは目を丸くする。
「やっと見つけたぞ!」
 そう言いながらピクシーは勢いよく飛びついてきた。
「え? どうしてここに?」
「あの影の奴に脅されたんだよっ。おまえを追いかけろって」
「そうなの? …シャドウに?」
「くそー! あいつ妖精の道がとこにどうつながってると思ってるんだよ、まったく!」
 頭の上によじのぼりながらぷんすか怒るピクシーにエリーゼは笑った。
「笑い事じゃないぞ! まったく…ここまで来るのにどれだけ苦労したと思ってるんだよ」
「その様子だと私とは違う道の出口に出たみたいだね」
「その所為であの勘のいい人間と鉢合わせちまったぞ」
「勘のいい人間?」
「あの炎を操る人間の仲間の…」
「え? もしかしてサフィアさんのこと…?」
「そうそう。そんな名前だったな」
 エリーゼは慌ててピクシーを見上げようとしてしまったので、急に動いた頭の上で「おちる!」と文句を言われたが「ごめん」と等閑に返す。
「その人、無事だった?」
「んー…、他の人間に殴られてた」
「暴行されてたの?」
 エリーゼの声音が険しくなったのを感じたのかピクシーも真面目に答える。
「仲間の居場所を吐けとか言われてたな」
 ランスの居場所を吐かせるために拷問されているのだ。
 顔色を悪くしたエリーゼにピクシーはちょっと考えてからぽんぽんと金色の頭を軽く叩いた。
「心配することないぞ。おれが助けてやったからな」
 エリーゼには見えないが頭の上でピクシーがふふんと胸を張る。
人避けの呪文ランタノイドを振りかけてやったんだ。そうすれば少しの間だけど、あの人間が側にいることを他の人間は気にしなくなるからな」
 驚くエリーゼにピクシーはさらに得意げになった。
「あの炎の人間を助けようとしたおまえのことだから、こっちの人間も助けに来るだろうと思ったんだ」
「ありがとう!」
 頭の上に乗っていたピクシーを手で掴むとぎゅうぎゅうと抱きしめた。
「わわっ、よせ! つ、つぶれるー…」
 危うく窒息しかけたピクシーは「力加減に気をつけろよ!」と言いながらエリーゼの腕の中からのがれて肩へと移動した。
「勘のいい人間だったから、呪文の所為でおいらに気がついたみたいだったけどな…」
「サフィアさんに姿まで視覚されたの?」
「まさか! でもおいらの居る辺りに目をむけてきた」
「妖精の存在を知覚出来るんだ…。ランスといい、サフィアさんといい、不思議な人たちだよね」
 一番不可解な存在のおまえがなにを言うといいたげな視線をピクシーはエリーゼに向けた。
「さっきまで一緒に居てやったけど、あの炎の感じが近づいて来るのを感じておまえを探してたんだ」
「そっか…、じゃあランスはサフィアさんと合流できたのかな」
 エリーゼは今までの事を大まかにピクシーに説明した。
「ふーん、で? これからどうするんだ?」
「閉じ込められている部屋はわかったから、サフィアさんを救出したらランスが適度に追手を煽って森の中に誘い込むはず」
 赤褐色の羽毛で覆われたヒゲガラが村の方から飛んできたのを見てエリーゼはよいしょと立ちあがり、くっついてきた土を払った。
「まずは森の中におびき寄せた追手を分断させるの。それから仕掛けた罠を利用して一人一人確実に動けなくするのが作戦目標よ」
 腕を持ち上げれば、一羽のヒゲガラは羽ばたいて差し出したエリーゼの指先に器用に留まる。
 羽毛を指先で撫でれば一鳴きして飛び立った。
「ランスの陽動は成功したみたい」
「おまえはどうするんだ?」
「うん。取敢えずは様子見だよ。兵士に真正面から挑んでも勝ち目ないもん。やるなら隙を窺って背後からの不意打ちだよね」
 そう言ってエリーゼは腰の短刀に手を添えた。
 耳を澄ませて森の中の気配を感じ取る。
 森が争いの気配を察してそわそわしている。
 動物たちの鳴き声や葉の擦れる音に交じって聞き取れた地面を踏み締める複数の足音に、エリーゼは気を引き締めた。
 茂みの方へと静かに移動して、息を殺して周囲に目を配る。
 しばらくじっと聞き耳を立てていれば、情けない悲鳴が聞こえて来たのでエリーゼは拳を握り小さくガッツポーズをつくった。
 丈夫な蔦を使ってロープのようなものを作り、網目状にして地面に広げておく。そして相手がその上を通ると跳ね上がり拘束する罠をランスはせっせと作っていた。
 エリーゼも手伝い、他にも枝と草を組み合わせて作った罠や地面に生えている草を結び合わせて作った草罠もそこかしこに仕掛けてある。
 どきどきしながらエリーゼが辛抱強く身を潜めていると人の気配と共に殺気だった見知らぬ男が足音荒くやってきた。
 追手だろう。どうやら一人のようだ。
 森がエリーゼの気配を消してくれているから、音を立てなければここに居ることは発見できないだろう。
 せかせかと辺りを窺う男は足元の注意をおろそかにしている。
 あと、もう少し…。
 草罠に足をとられて男が躓いた!
 転んだ拍子に跳ね上がり式の罠につかまった男はもがいているが、丈夫な蔦の拘束は外れない。
 思わず目の前のことに夢中になり過ぎていたために、背後から近づいてくる草木を踏み締める足音に気がつくのが僅かに遅れた。
「おい…うしろっ!」
 ピクシーの警戒の声と共に振り返った時には腕をとられていた。
 ぎょろりとした目に睨まれてエリーゼは自分の迂闊さに眉を顰めた。
 肩に座るピクシーが「ドジ!」と悪態ついている。
「……お前は昨夜、奴とともにいた娘だな。奴は何処に居る?」
 無言で返せばもう片方の手で顎をつかまれた。
「だんまりか? 大人しく薄情しなければ痛い目にあうぞ」
 言ったところで生きて返す気などないくせに…と心の中で呟いたがそれをそのまま口に出すようなエリーゼではない。
「先程二手に分かれました。彼がどこにいるかわかりません…本当です」
   外見だけは見目麗しいエリーゼが肩を震わせて弱弱しく呟けば、頼りない薄倖の美少女が出来上がる。エリーゼの顎をつかむ手が僅かに緩んだ。
 すぐさま足の力を抜きがくりと身体を落とせば、腕を掴んでいた男の手も離れる。
 短刀を抜き放ち、そのまま男の足を目がけて両手で力いっぱい突き刺した。
 絶叫があがる。
 素早く身を起こしたエリーゼは背後からの怒鳴り声を無視してさっさと身を翻していた。
 森の中を必死で走るエリーゼの肩につかまりピクシーはぼそりと呟いた。
「欺師だ…」
「せめて役者と言ってよ」
 エリーゼはふっとニヒルに笑ってみせたが、すぐに真顔に戻る。
「ランスにできるだけ大人しくしてろって言われてたけれど、こればかりは不可抗力よね」
「どうすんだよ」
「ランスから合流してくるのを待つ予定だったんだけれど…、こっちから合流した方が速そうだわ」
 肩を竦めたエリーゼだったが、背後から怒声と共に迫ってくる追手の気配にどうしようかと思案する。
 目の前の茂みがガサリと揺れて、慌てて足を止める。
 新手かと緊張したエリーゼだったが、現れたのは剣を携えたマギステル卿だった。
 お互い一瞬ぽかんとした。
「エリーゼ?」
「わっ、え? マギステル卿?」
 何か言おうと口を開いたマギステル卿だったが、エリーゼを追ってきた兵士に目つきが険しくなる。
 エリーゼを背後へと押しやると剣を構えた。
 突進してくる兵士が振り上げた剣を躱し、自らの剣を抜き放つ。
 白刃一閃。
 胴体に斬り込んだマギステル卿の一撃に兵士は倒れた。
 速すぎる一撃にエリーゼは言葉も出なかった。しかし、敵を斬った瞬間マギステル卿の剣の刃が無数の小さな放電を発していたような気がしたのは見間違いだろうか?
 刃を振って付着した血を飛ばして剣を鞘にしまうとマギステル卿は改めてエリーゼと向き合った。
「まったく…、こんなところにいるとはね」
「どうしてここに?」
「君を探していたに決まっているだろう」
 むっとしたマギステル卿にエリーゼは心配をかけた自覚があったので身を縮めてしおらしく謝罪した。
 嘆息しながらマギステル卿はエリーゼをうながした。
「とにかく、ここから出るよ。話はそれからだ」
 肩を押されるようにして移動するが、エリーゼは待ったをかける。
「でも、ランスが…」
「彼の事ならば心配は無用だよ」
「え? どうしてです? …あれ? どうしてランスの事…、知っているの?」
「君の行方が分からなくなって捜索している途中で王都から伯爵が到着してね。その時に説明されたよ」
「フリードリッヒさんが?」
「ああ…。まったく厄介な人物と逃走してくれたね」
「逃走したつもりはないんですけれど…。じゃあフリードリッヒさんはランスの経歴…というか身分を知ってたんですか…?」
「こっちにもいろいろと事情があるんだよ。それよりこの仕掛けはなんとかならないの? どうせ君の仕業だろう? ここまで来るのに苦労したんだけど」
 嫌味をちくちく言われながら、仕掛けた罠を器用に迂回しエリーゼとマギステル卿は森の出口付近まできてしまった。
 その時すでにエリーゼは森の中にランスがいないことに気がついていた。
 不測の事態が起こったのだと心配していたエリーゼの耳に、村の方から馬の嘶きと馬蹄、それに金属がぶつかり合う音と怒号が響いてくる。
 あきらかに何かおかしい。
 マギステル卿は気にすることなく進んでいくが、緊張に身を固くしたエリーゼは恐る恐る村の方へと近づいていく。
 ふと、森の気配ががらりと変わったことに気がついてエリーゼは足を止めた。
「……、なに?」
 森が騒がしい。ざわざわと何かを伝えようとしているが、様々な雰囲気が入り混じり、騒々しすぎてなかなか要領が得られない。
 より伝わってきたのは…憤慨と恐れ?
 森が騒ぎたてている。
〈―――…る…〉
 困惑していたエリーゼは、森の意思を聞き取ろうと振り返る。
〈―――…る、よ〉
「いったいどうしたの?」
〈―――…く、るよ〉
「なにが…?」
〈―――血にまみれし人の子が!〉
 強い意志に圧迫され、エリーゼは森から押し出される。
 よろけた体制をぐっと足に力を入れて踏みとどまるが、一際大きな馬の嘶きがすぐ近くで発せられたことにびっくりして地面にへたり込むことになった。
 地面を揺らすような馬蹄が響き、太陽が遮られる。
 顔をあげて光を遮ったものの正体を見れば、それは大きな馬に乗った男の人だった。
 飾りのついた頭絡に包まれた馬は雄々しく、人目で荒馬だと分かるが、その凛々しい瞳からは知性が感じられる。
 その大きな馬に跨る男をエリーゼは呆然と見上げた。
 立派な剣を腰に携え、飾りがなく質素だが光沢が美しく上質な外套が翻る。
 逞しい身体と力強さを感じさせる四肢からは立ち昇る威圧感が感じられた。
 厳しい現実の荒波にさらされて削られてきただろう硬質な顔立ちに、藍色の瞳が凄みを添えている。
 深紅の虹彩を見開いて驚くエリーゼ同様に、男の方も場違いにも森から現れた娘に驚いているようだった。
 二人の視線が交差してお互いを見つめ合う。
 その瞬間だけ周りの騒音が消えて、お互いが認識できるのは相手だけのような気がした。


  

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