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汝、その薔薇の名

8.月と太陽の廻り 7


「なにがですか?」
「シャドウ…、彼があんな風に誰かを気にするなんて初めて見たよ。よほど君が気に入ったと見えるね」
「そうですか? だと嬉しいな」
 奇妙なものを見るようにマギステル卿はエリーゼを見つめた。
「君はシャドウを恐れていないんだな」
「どうして怖がる必要があるんですか? シャドウは悪いものじゃないのに」
「……以前から不思議な子だと思っていたが…、やっぱり君は変な子だね」
 酸味と辛味のきいた香草のスープにスプーンで取り組もうとしていたエリーゼは「それって貶してるんですか?」と首を傾げた。
 そのわりには彼から悪意が感じられない。
「まさか、その逆だよ。君ほどファルツ伯の養子にぴったりな人材はいないとあらためて実感したんだ」
 マギステル卿にとって、エリーゼが嘘を見抜くことができるとか、妖精が見えるとか、そんなことはさしたる問題ではないようだ。
 自分を異端視しないマギステル卿を不思議そうに窺っていたエリーゼだったが、すぐにスープに集中を戻した。
「普通の娘ではとてもではないけれどファルツ伯爵家の養子など務まらない。君はいい意味で予想を裏切ってくれたよ」
 どういう意味だろうか?
 意味を測りかねているエリーゼにマギステル卿は穏やかに笑った。
「誉めてるんだよ。ファルツ伯爵家は名門の名にふさわしいく背負うものはより深く重いが、君ならそれに押しつぶされるようなことはなさそうだからね」
 そうしめくくると、マギステル卿はエリーゼがランスと逃げ回っていた間に何があったのか、詳しく聞きたがった。
 食事に舌鼓をうちながらエリーゼは乞われるままに話した。
「始めからランスがエルドランの王位継承者だと知っていたわけではないんです。聞いた時は驚きました」
「こっちだってそうさ。シャドウから君が危険だと知らせを受けてミハエルと君を探していけれど一向に手がかりがなくてね。いったん館に引き上げて見れば、王都から伯爵だけでなく陛下まで騎士団を引き連れてやってくるじゃないか。何事かと焦ったよ」
「ランスが重要人物だったから陛下自ら来られたんですね」
「それはどうかな」
 マギステル卿はエリーゼの瞳を覗き込むといわくありげに声をひそめた。
「たとえそれが同盟国のことでも…、それだけであの方が腰を上げるなんてちょっと疑問だよ」
「何故です?」
「陛下は嫌というほどの現実主義者なんだよ。利益にならないことはしないと思う。エルドランの王位継承者を保護することにしたのも何らかの密約を王太后派と結んだからじゃないかな。とはいえ、同盟国の王族を保護するだけならば、それこそエグラテリア騎士団に一任すればいいだけのこと。陛下自らノスタルジアにやってきたのには他に理由があるんじゃないかと我々は睨んでいるのだが…」
「ミハエルやファルツさんも…?」
「伯爵の真意はわからないよ。けど、少なくとなんらかの警戒はしてるんじゃないかな。なにしろ相手はあの、、征服王だからね」
「……陛下は、そこまで恐れられている人なんですか?」
 ダークブロンドの眉が片方ぴくりと上がる。
 エリーゼは慌てて手を振った。
「ファルツさんから説明は聞いてます。噂もいろいろ聞きますし…、でも……」
「でも?」
「皆さんが言うほど恐ろしい人には見えなかったんですよね…」
 むしろ、怖いというよりも、どこか寂しそうな人だと感じたのだと言おうとしてエリーゼは口をつぐむとなんでもないと首を振った。

 ヴィルバーンとグリアス。両国の約百年にも渡る冷戦を終結させたのは、ヴィクトリア王家の賢君と名高いウィリアード一世である。
 そしてその父王と共に貢献し、戦場を駆けたのは、英雄リチャード王子だ。
 ヴィクトリア王家の名君リチャード一世にあやかり名づけられた王子は、戦場においてその名に恥じぬ働きをみせた。
 ウィリアード一世は打ち続いた冷戦に疲弊し没落しつつあった諸侯を抑え、ランカー王家とも友好な関係を働きかけて、徐々に王政を確立していった。
 国内は安定しそのままウィリアード一世の治世が続くかと思われたが、両王家の戦争終結から四年後、リチャード王子が急死する。
 その死因は病死として公表された。
 戦場を駆けぬけた英雄の呆気ない死に誰もが困惑し、そして心からその死を惜しんだ。
 何故なら誰もが次の国王はリチャード王子だと信じて疑いもしなかったからである。
 リチャード王子は民衆から絶大な人気があった。
 そしてその九年後またも誰もが驚愕する事になる。
 リチャード王子の後を追うようにウィリアード一世が崩御したのだ。
 ヴィルバーンの混乱は必至だった。
 王位継承権をめぐってヴィクトリア王家の傍系たちが内部分裂した為、貴族たちも右往左往し、友好な関係を築いていたグリアスとも雲行きが怪しくなった。
 それでも新たな国王は決まらず、国境付近でヴィルバーンとグリアスの小さな衝突が相次いだ。
 さらにヴィルバーンの王族たちの内乱が相次いで突発。
 誰もがまた戦争が始まるのかと緊張を孕んだそんな中、突如として現れたのが、フォルデ・レオン・ディカルトである。
 フォルデ・レオン・ディカルトは、宰相のリコ・シュタインが王宮へと連れてきた男だった。
 そしてウィリアード一世の庶子であると発表されたのである。
 ヴィルバーンの傍系王族たちからしてみれば、青天の霹靂もいいところである。だが、貴族や諸侯たちは胸をなでおろした。庶子という出生は眉を顰めたが黙認した。リチャード王子が生存している時に現れていれば、それこそつまはじきにされただろうが、状況がそれを促した。
 貴族たちはグリアスとの雲行きが怪しくなる現状を打破する為、一刻も早く王座を埋めたかったのである。
 なんと言っても庶子とはいえウィリアード一世の血筋であることが大きかった。
 納得がいかないのは王権争いをしていた傍系王族たちである。
 直系ではないにしろ、王家の血をひく彼らは、もう少しで王座が手に入るところだったのである。
 彼らはフォルデ・レオン・ディカルトが庶子であるということを盾に取り、抵抗した。
「卑しい血を伝統あるヴィクトリア王家に入れることは神への冒涜にも等しい、正当な血筋は我々である」という大義名分を掲げての断固反対だった。
 王族たちから見れば鳶に油揚げを取られたようなものなので「誰がお前などに王位をやるか」という意地の張り合いである。しかし、フォルデ・レオン・ディカルトは、ヴィクトリアの王族たちが起こした紛争を収めて、ウィリアード一世亡き後、五年間に渡り空位であった王座についた。
 グリアスを上手く押さえつけ、その間にヴィクトリアの傍系王族たちが起こした内乱を片っ端から潰していったのである。
 自分に刃向かう者には容赦しなかった。
 時にはその巧みな話術で、そして武力において、徹底的に叩きのめしたのである。
 その手腕は見事なものと言うほかない。王侯貴族たちは、震え上がった。
 フォルデ・レオン・ディカルトは庶子と侮られているだけの、凡庸なただの男ではなかったのだ。
 冷徹無比、無表情で躊躇なく自分に敵対する者を斬ることの出来る男だったのである。
 フォルデ・レオン・ディカルト―――彼こそは、征服王である。
 征服王と綽名されるだけの事を彼はした。
 ヴィクトリア王家に連なる傍系の王族たちを皆殺しにしたのだ。
「征服王を語る上で、避けることができない事実、か…」
 昼間にマギステル卿が淡々と言った言葉を心の中でもう一度反復する。
 傍系王族たちはフォルデ・レオン・ディカルトを認めようとしなかった。
 反発し敵対した結果、彼らは物言わぬ躯となり果てた。
 唯一生き残ったのは、ドルシュッタ家だけである。
 ドルシュッタ一族はフォルデ・レオン・ディカルトと王権を争おうとはしなかった為、恩赦を与えられ一族の存続を認められたのだ。
 窓の外に広がる夜空をエリーゼは見上げた。
 ベッドの上ではピクシーがぐうすか鼾をかいて夢の中を漂っている。
 起こさないようにエリーゼは静かに身を起こし、窓辺へと近づく。
 危険を潜り抜けた反動で気分が高揚して眠れないのか、それとも話に聞く無慈悲な国王が同じ館で身を休めているから緊張するのか。
 眠れず目を覚ましたエリーゼは、明日には王都へと戻ることになっている。
 国王はエリーゼたちよりも早く館を出て王都へと帰還するそうだ。
 気がつけば藍色の鋭い眼光を思い出している。
 何故こんなにも気になるのだろうか?
 わからない。考えてもわからない。分からないから余計に気になる。変な悪循環が出来上がっていた。
 夜空にぽっかり浮かぶ月に誘われるようにして、窓辺の揺り椅子に座り、思考の渦に耽っていたエリーゼだったが、視線を感じて窓の下を見た。
「っ…」
 短く息を呑みこんだ。
 漆黒の闇を従えて月光に照らされた男が庭に一人、ぽつんと立っていた。
 国王――フォルデ・レオン・ディカルト…。
 月明かりの下、二人の視線が絡み合う。
 目をそらさずに見上げてくる国王に、ひるみながらも何故か胸のあたりが熱くなった。
 二人とも言葉はない。距離もある。しかし、物理的な距離など関係なかった。言葉もいらない。
 月夜の下での逢瀬。
 ただ見つめ合うだけでよかった。今、この時、それだけが全てだった。
 彼は荒野を飛翔する鷹のようだ。
 荒々しく、厳しい自然の荒野に君臨する王者。
 鷹に睨まれた獲物は逃げられない。
 どこへ逃げようと最後にはその鉤爪にがっちりと捕らえられてしまうだろう。

 その覇者である鷹と出会ってしまったのだ。
 エリーゼはやっとそのことに気がついた。


  

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