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汝、その薔薇の名

9.花嵐 3


 フリードリッヒが丁重に包装された品を一瞥するとミハエルの後方に控えていた侍従が丁重に受け取った。
「これは私からのほんの祝いの品です」
「ありがとうございます。陛下にもよろしくお伝えください」
 フリードリッヒの言葉を聞くとウィンザー公は鈍色の瞳を細めて、誰もが気になりながらも聞けなかったことをずばりと聞いた。
「ところで、噂の伯爵家の後継者のお姿が見えませんが」
「おや、我輩の娘がお気になりますか」
「気にならない者はおりませんよ。突如現れたファルツ家の後継者! しかもまだうら若き乙女だという、どちらの淑女が御伽噺のお姫様のような幸運にあやかったのか、とね」
 ミハエルは思わず噴出しそうになるのを理性を掻き集めて耐えた。
 見れば給仕をしているファルツ家の者たちも一瞬動きを止めてから動き出した。しかし、よく見れば手の先がぷるぷる震えている。
 召使としてのプライドと根性で必死に笑いを堪えているのだ。
 御伽噺のお姫様のような幸運に肖ったのではなく、エリーゼの場合は狡賢い魔法使いに目をつけられた不幸な町娘といった表現の方が正しい。
 事実を知っている者にしてみれば笑い話でしかないのだが、ウィンザー公は本気で言っているようだ。
「宮廷でもその噂で持ちきりですよ」
「そうですか」
 それは随分噂が大きくなったものだ。
 召使たちとミハエルの忍耐もなんのその。唯一泰然としているフリードリッヒが内心で付け足していると、エリーゼつきの侍女がウィンザー公の肩越しに見えた。どうやら支度が整ったらしい。
「一目そのお姿を拝見したいものです」
「よろしいですよ、紹介しましょう。我輩の娘、エリーゼです」
 あっさりと言ったフリードリッヒに蕩々と語っていたウィンザー公は瞠目し、指し示めされる方を振り向いた。
 フリードリッヒとウィンザー公のやりとりに注目していた貴人たちも釣られて振り向いた。そして絶句した。
 風になびく黄金の髪と強い光を放つ深紅の瞳を持った楚々とした少女が立っていた。
 長い睫は巻毛をつくり、ほんのり色づいた薔薇色の頬は柔らかな曲線を描いている。優美な目鼻立ちを彩る朱の差した唇は可憐であった。
 まだ少女から女へとの成長途中の丸みを帯びた顎にかかる細い金糸を編み込んだような髪は黄金のように眩い輝きを放ち、後ろで纏められている左右の横髪は、幾つもの細かい小さな赤硝子で出来た薔薇の花で留められている。
 真っ白な肌は真珠のようで、どこか儚げな風情を見るものに与えた。
 太陽の下に降り立った可憐な娘に誰もが息を止めた。
 身に纏っているのは繊細な模様の刺繍が施され、たっぷりとレースが縫い付けられている独特の光沢を持った生地で作られたドレス。若々しさを出す為に態と背中に流している金の髪と淡い薄紅色のドレスが交じり合い眩しい。
 少女が動いた。同時にドレスが滑らかな線を描いて揺れる。
 その場にいる人間全ての視線も少女と共に動く。
 登場と同時に一瞬で周囲の視線を独占した少女はウィンザー公の前までやってくると、ゆっくりとした動作で優雅に一礼した。
「エリーゼ、こちらはウィンザー公爵家のエドマンド殿だ」
「エリーゼと申します。お初におめもじいたしますエドマンド様。よろしくお見知りおきください」
 花をついばむ小鳥のような、鈴の鳴るような声だった。
 ウィンザー公は、驚愕に硬直した顔をなんとかほぐすと人懐っこい笑みを浮かべた。
「こちらこそよろしくお見知りおきくださいエリーゼ嬢。……しかし驚きました。これほどの麗しい方だったとは、花の妖精が降りてきたのかと思ってしまいました」
 エリーゼはふわりと微笑んだ。
 その大輪の花もかくやという情景に、賞賛の溜息があちらこちらから漏れた。
 フリードリッヒとミハエルもエリーゼの美しさに純粋に感心したが、この少女は自然と一体になっている時の方が輝いていると思った。
 作り物めいた完璧な美しさよりも、生き生きとした生命の美しさを感じさせる普段のエリーゼの方が美しいと感じたのだ。しかしこの場に普段のエリーゼを知るものは少ない。
 貴人たちはエリーゼの容姿を盛んに褒め称え、是非お近づきになろうと花に群がる蝶のように動き出した。
 エリーゼはそんな彼らを手際よく捌いていく。
「はじめまして、噂にはお聞きしておりましたのよ。可愛らしい方」
「まあ、そんな。ありがとうございますピーテル男爵夫人」
「本当に愛らしくてらっしゃる。私のお抱え画師に貴女の肖像画を描かせたいぐらいですよ」
「身に余る光栄ですわモリス卿」
 エリーゼは鍛えられた外面で完璧な淑女を演じていた。
 フリードリッヒはそれを満足気に観察していたが、ウィンザー公を視界に入れると片眉をあげる。
 ウィンザー公は静止したまま、じっとエリーゼを凝視していた。
 この公爵ならばその内情を調べてくれようと、ここぞとばかりにエリーゼに接近するだろうと思っていたのだが…。
 国王からの祝辞を持ってきたのならば、間違いなく探りに来た筈。それなのにまったく動こうとしない。
 その違和感が気になったが、結局公爵がそれ以上動く事はなかった。

 フリードリッヒが警戒するのも無理はない。ウィンザー公がわざわざ招待に乗って偵察に来たのには理由がある。
 勿論、名門である伯爵家に養女に入る人物を品定めするためであり、フリードリッヒの真意を探るためである。
 だが、他にも理由があった。
 先日、ノスタルジアに侵入したエルドラン兵の討伐及び捕縛という名目で、エルドランの王位継承者を保護した国王が王都に帰還した。
 国王の無事な姿を迎えたウィンザー公はほっとしたものだ。
 エグラテリア騎士団を付けて見送ったのだから当然と言えば当然だが、王国付き魔導師の言葉に不安がなかったと言えば嘘になる。
 帰ってきてから当然のように政務へと戻った国王に、ブルク城にも常日頃の緊張感が戻った。しかし、ウィンザー公は、ふとした瞬間に違和感を覚えた。
 その違和感が何なのか、すぐにわかった。国王である。
 辛辣な冷笑。通常装備となってしまった仏頂面。
 幸福などとは程遠い陰鬱な空気を醸し出す国王が、ふとした瞬間、遠くを見るようにぼんやりとする。
 ほんの一瞬であっても、あの征服王が、ぼんやりとするのだ。ありえない。
 ウィンザー公はその瞬間を目撃してしまった時、口から心臓が出るかと思ったぐらい驚愕した。
 この異変に気がついたのは、かろうじて自分だけだということにウィンザー公は神に感謝した。
 誰かに知られれば、それこそ天変地異の前触れか?! などと恐慌をきたすに違いない。
 ウィンザー公は国王に仕える忠実な臣下の当然の役目として、国王に尋ねることにした。
「このところ気もそぞろといったようですな」
 ちゃかすような声音に治水報告書と治水工事の申請書と睨みあっていた国王は訝しげに顔を上げた。
「なんのことだ?」
 おやっとウィンザー公は内心で首を傾げた。
「いえ、何か気になることでもあるのかと思ったものでして」
「俺がか?」
 本気で不思議そうにしている国王に公爵はまたしてもびっくりさせられた。
 この国王は自分で自分の異変に気が付いていないのだ。
 これはどうしたものか…と内心で頭をひねって考えている公爵の内心など知らず、国王は決議案としてまとめられた書類を机の上に放った。
 椅子に深く沈みこみ、嘆息する。公爵は目敏く気がついた。
 まただ。また、国王がここにないものを見ようとするように窓の外へと視線をやる。
 そしてこの雰囲気。無防備。そう、無防備なのだ。
 武に精通し、常に抜き身の刃のような国王が、ふとした瞬間に何かを探す子供のように見えるなどと目の錯覚であればどれほどよかったか。
 提出する為に持参した次回貴族召集予定案書は後回しにしよう。公爵は長椅子に座り腕を組んだ。
「今何をお考えになられているのですか?」
「何故そんな事を聞く」
 一瞬で元に戻った国王の鋭利な視線を受け流し、ウィンザー公はやれやれと肩を竦めて見せる。
「ノスタルジアから戻られて以来、思い悩まれていることがあるのではないのですか?」
 眉間に皺をよせた国王は口を開いたが、何も発することなく閉じるとぐっと顔を顰めた。
 それなりにこの国王との交流が長いと自負している公爵は、その仕草からどうやら心当たりはあるらしいと読み取ると、わざとらしく表情を厳しくして見せる。
「陛下の御心を煩わせるものを取り除くことも臣下の役目です」
「芝居がかった言いようはよせ。わざとらしいぞ」
「最近の陛下は覇気が少々弱くなる時があります。これを気にするなと言う方が無理でしょう。気になるのがあたりまえです。本当にどうされたのですか?」
 国王は舌打ちした。
 自分の失態に関して苛立っているのだろう。
「どうもしない。とるに足らないことだ」
 話は終わりだというようにびしっと言い放った国王をじっと見つめる。
 国王が書類に視線を戻そうが、無視されようがかまうことなく居座り続け無言の抗議を向ける。
 根負けしたのは国王だった。
「……、本当にお前はしつこい奴だな」
「それが性分ですので」
 しらっと言い切った公爵に、痛み出した眉間を指でほぐしながら国王は口の中で悪態をついた。
「少し前にファルツ伯の養子のことでごたついただろう」
「ええ、エルドランのことがあって結局こちらで手を回す前に貴族院の正式な許可が下りてしまいましたね」
「俺もな、あの時は何の問題点も見当たらなかったから許可を与えたが…。お前、ファルツ伯の養女についてどのくらい知っている?」
 公爵は頭を振った。
「残念ながらほとんど知りませんよ。なにせ突然のことでしたし…、それが気になることですか?」
「まあ、な」
 国王は曖昧に口を濁した。
「しかし、仲介に貴族院の調査が入ってます。それにファルツ伯ともあろう方が、得体の知れぬ娘を養女にはしないでしょう。変わり者とはいえ、あの方は一種の人嫌いです。そのお眼鏡にかなったわけですから普通の娘とはいえないかもしれませんが…」
 国王は、くっと笑った。
「お前も公爵家の当主なら勿論分かっているだろうが、由緒正しい家というのは古より秘伝される事柄が多い筈だ。お前はそこへこうも簡単に赤の他人を入れられるか?」
「私には無理ですね」
 きっぱりと言い切った公爵に国王も頷いた。
「それが普通だろう。なによりあれだけ頭の切れるファルツ伯が、結婚するのが嫌だというだけで養子をとるとは考えにくい」
 案外それだけの理由で突飛な行動をしそうな人柄ではあるのだがと公爵は内心で面白がった。しかし、もうずっと癖になっている国王の渋面によぎった懸念に公爵は真面目に向き直る。
「あのファルツ伯のことだ、放っておけば正式に披露しないかもしれない。手を打っておくことにこしたことはあるまい。ウィンザー公、俺の名代で祝辞でも言って来い」
 ウィンザー公は面白そうに国王を窺う。国王の言いたい事は明白である。
 養女となる小娘を検分して来いというわけだ。
 主君の言いたい事を正確に把握できる国王のもう一つの片腕は「承知」とだけ言って頭を下げた。
 そして今に至るのだが、ウィンザー公はこの人にしては珍しい事に動揺していた。
 その動揺を隠し、我に返った公爵がとった行動は観察である。
 そう、国王の勘は正しかった。なんたることだろう。
 国王はこの少女をノスタルジアで見たのだ。そしてその再確認を自分にさせる為に送り込んだに違いない。ウィンザー公はそう確信した。
 この美しい少女の顔にウィンザー公は見覚えがった。
 人目がなければウィンザー公は思いっきり頭を抱えていたに違いない。
 ウィンザー公は押し殺した溜息をはきだした。


 

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