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汝、その薔薇の名

9.花嵐 8


 フリードリッヒは濁った沼のような底の見えない目をぎょろりと動かして宰相に無言の説明を求めた。
「この方の名はマーガレッタ・アマリエ。グリアス国王ジョゼフランツ三世のご息女にしてランカー王家の第七王女でございます」
 ミハエルは目を大きく見開いた。
 フリードリッヒは驚きを顔に出す事はなかったが「ふむ」と小さく唸ると口許に手を当てる。
「見てお分かりの通り、エリーゼ嬢はマーガレッタ王女に生き写し。他人の空似ではこうも似ることはないと思います。お二方も異存はございませんな? このことを確認してから本題に入りたかったのです」
 開いた口の塞がらないミハエルの横でフリードリッヒは面白そうに笑った。
「やれやれ、やっとですか。まぁ、この肖像画を見せられたので大方の予想は出来ますがね」
「ファルツ伯ならばそうでしょうとも。ただし、これからお話ししようとしていることは…何れは世間にも発表することとなるでしょうが今はまだ内々の話です。公にはしていません。しかしながらお二人を見込んでお話します」
 宰相は厳重に保管してあった絵画を布の上に静かに置く。
「事の起こりは今から二十年ほど前まで遡ることになります。マーガレッタ王女がグリアスから奔出されたのです」
「それは初耳だ」
「当然です。グリアスでは厳重な緘口令が敷かれ、内密に捜索が行われていたのですから」
「王女は気の病にかかり離宮で養生していたというのは嘘だったわけだ。では、十六年前に病死したというのも…」
「当時、王女はすでにグリアスにはいませんでしたが、ジョゼフランツ三世はその事実を隠したのです。しかし、病死というのはあながち嘘ではありません」
 宰相はふぅーと溜息をついた。
「マーガレッタ王女はこのヴィルバーンに身を隠し、四年間リチャード王子のおそばにいらっしゃった…そして王子の子を身重られて出産したのです。ただ、産後の肥立ちがおもわしくなく、そのまま息を引き取られてしまったようですが…」
「リチャード王子の?!」
 呆然とするミハエルの横でフリードリッヒは冷静を保ったままぽつりと呟いた。
「子供を出産したのですか…グリアスの王女がこのヴィルバーン王族の血をひく子を」
 フリードリッヒは目を光らせた。
「なるほど。つまりその子供がエリーゼだとおっしゃりたいのか」
「流石ですファルツ伯。あなたが察しの良い方でよかった」
 二人の会話を黙って聞いていたミハエルは反射的に首の後ろの産毛が逆立つのを感じた。
 エリーゼが王家の血をひく子供だと?
 あのヴィルバーンの英雄の…そしてグリアスの王女の子供…? なんてことだ。もしそれが本当ならばエリーゼは…。
「我々はその赤子がエリーゼ嬢だと思っております。生まれた赤子は王女が亡くなった直後、行方が分からなくなっています。そこに先王陛下が関わっていることは既に明らかですが…ただ、先王陛下に命じられて誰が赤子をどこに連れ去ったのかは追えませんでした。しかし、時期的に見てコルスタンの領主アーノル卿が関わっているのではないかと我々は考えていたのです」
「しかし宰相殿、エリーゼがリチャード王子とマーガレッタ王女の間にできた子供だという確かな証拠はあるのですか? 顔が似ているというだけでは…」
 ミハエルが口を挟んだ。沈んだ声で異を唱えたが、肖像画でもわかるとおりミハエル自身もこれほど似ている二人が血縁関係がないとはいいきれないようだ。
「当然、公に発表したとしても疑惑を持つ者は出てきますな」
 フリードリッヒもミハエルに同調した。
「御心配には及びません」
 宰相は子供に言い聞かせるようなゆっくりとした口調で言い切った。
「マーガレッタ王女が出産し、お亡くなりになるまで赤子の面倒を見ていた者たち口を揃えて証言しております。『眼は半開きでしたがあの色は一度見たら忘れられるものではありません。真紅の瞳を持った赤子の、その胸元には赤い薔薇のような痣が浮かんでいました』とね」
 フリードリッヒは顔をしかめた。
「エリーゼを一人にしたがる理由はそういうことですか。……国王はエリーゼの所ですかな?」
 フリードリッヒの言葉に弾かれるようにしてミハエルは顔に張り付けた笑みを浮かべる宰相を睨んだ。
 フリードリッヒの非難を多大に含む視線を宰相はさらりと受け流す。
「ウィンザー公の報告を聞いたとき、神の采配に感謝しましたよ」
「……采配、ね」
 ミハエルは小声で皮肉ったが、宰相は聞こえないふりをした。
 フリードリッヒはそんな宰相を油断なく観察しながら、だからウィンザー公はエリーゼを見て驚いていたのかと一人納得していた。
 テーブルの上に置かれた肖像画を一瞥する。額縁からしてグリアスの風土を思わせる装飾だ。おそらく奔出した王女を探してジョゼフランツ三世が送ってきたのだろう。
 エリーゼが王家の血をひいていると聞かされてもフリードリッヒとしては特に驚くことではなかったが、その事実が大変な騒動の火種になるであろうことは容易に想像がついた。
 それに国王側がエリーゼをこのまま放っておくはずがない。
 ヴィルバーンとグリアスの血をひく者がどういった立ち位置にあるのか、なによりその存在価値がどれほどのものか…。
 目まぐるしく思考を動かせているフリードリッヒに宰相は訳知り顔で頷いた。
「お二方の驚きもお察ししますよ。我々も驚いたのです。反国王派が探し当てるまでは、我々もまさかリチャード王子に…グリアスの王女との間に子供がいたとなどと思いもよりませんでしたからね」
「発端は彼らですか」
 宰相は真剣な顔で頷いた。
「五年間の内乱時、反乱軍を陰で操っていた黒幕は別にいるはずなのです。自らは手を下さず、安全な場所で高みの見物を決め込んでいた狡猾な人間…、おそらくアイク伯。血筋に対する執着にも似た選民意識と誇りを持ち、野心家であった彼がフォルデ陛下を目の敵にするであろうとこは最初からわかっていました。彼しか考えられません。しかし決定的な証拠がみつからなかった為に処罰することができませんでした。爵位を取り上げる事も出来なかったので、念のために間諜にその動向を探らせていたのです」
 フリードリッヒは「そういえば…」ととぼけた声を出した。
「内乱時に我輩を頻繁に訪ねて来ては反乱に手を貸すように誘いをかけてきた使者の親玉は確かにアイク伯でした」
 ぽかんとしてフリードリッヒを見つめた宰相の眉間がみるみる内に山谷を作た。
「……そういうことはもっと早く進言して頂きたかったですな」
「国王殺害の意思や考えを持った者―…つまり反国王派に属する者はその実行の有無関係なく死刑。内乱時、陛下はそれを忠実に行った。その姿勢は評価できるし、あの時、陛下が下した決断は正しかったと思います。そうでなければヴィルバーンは内側から食いつぶされ他国からは蹂躙されていたでしょう。しかし、当時の陛下は正式な戴冠を行なっていなかった。国王の臣下である貴族には王に忠誠を誓う義務がありますが、あの時の陛下は借り物の王冠をかぶっていたにすぎない。つまり我輩が常に陛下に忠実である必要はなかったということです。ですから今、お伝えしました。これから尻尾を掴めば宜しかろう」
 三人の間に沈黙が下りた。
 堂々としているフリードリッヒの言い分は間違っていない。文句なしの屁理屈だ。
 頭を抱えたくなるのをかろうじてこらえたミハエルは、目の前に座る宰相が額に手を当てて長々と溜息を洩らすのを見た。
 同情の眼差しを向けられていることに気付いた宰相はミハエルと見つめあう。お互い目だけで意思疎通ができた気がする。
 …その心中お察しします。
 …そちらこそこの人間相手によく平気で付き合っていられますね。その気苦労をお察ししますよ。
 二人はお互いを思いやった。
 しばらくしてフリードリッヒの屁理屈に二の句が付けられず唸り声をだした宰相だったが、咳払いをしてごまかすと「とにかく」と続けた。
「内心で陛下を亡き者にしようと企んでいるアイク伯率いる反国王派にリチャード王子の忘れ形見を渡すわけにはいきません。なんとしてでもこちらで保護したいと思っていたところ、エリーゼ嬢が現れたのです。しかもファルツ伯…貴方の養女として」
「エリーゼを娘にした以上は我輩も無関係でいられないのでしょうな」
「左様、貴方は名門ファルツ家の当主だ。しかも昔から変わらず中立の立場を一貫していらっしゃっる。その貴方の後ろ盾があるのならば我々も安心してエリーゼ嬢を我が国の王女として発表できます」
 気を取り直した宰相の言葉にミハエルは、はっとしたように素早く宰相に視線を走らせる。
 フリードリッヒは問い返すように眉を引き上げた。
「少々待っていただきたい。いつ彼女を王女だと公にするおつもりですかな?」
「できるだけ早いほうがいいでしょう。エリーゼ嬢のお披露目にアルト・ハイデル殿が来ていたことはウィンザー公の報告で分かっています」
「反国王派が動く前に先手を打ちたいというわけですか」
 宰相は否定しなかった。
「ヴィクトリア王家の王女として、そして陛下の王妃として発表させていただきます」
「成る程…反国王派を牽制しつつ、未だ根強く国民に人気のあるリチャード王子の忘れ形見を手中に納め、さらに血統書付きの王女を現国王の妻にすれば、庶子である陛下に不満を持つ選民主義の阿呆貴族どもの不満も軽減できる寸法ですか」
 頭いい者同士の会話は楽でいい。相手の言いたいことを瞬時に理解し次の次まで見越すからだ。
 宰相は満足げに頷くことでフリードリッヒの言葉を固定した。


  

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