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汝、その薔薇の名

6.噂の伯爵令嬢 3


 ヴィルバーンとグリアスはグラディウスに存在する国の中でも最も歴史ある国であり、両国の王家の血脈を遡れば辿り着くのは最古の王国アヴィランドだ。
 栄華を極めた美しき王国と謳われるアヴィランドは、グラディウスで初めて君主権を行使してそれまでばらばらだった民族を纏めあげ統治し、国という形へと導いたといわれている。
 支配下に治めた領地の統治権を他の主要民族へ任命させるなどの分割統治を行っていたので、その国土にいたってはグラディウスの歴史上もっとも広大だったといわれている。
 確認されているだけでもブリア山脈が横断しているクッフィールド――大部分は岩の多い低地からなっているが――湖沼地帯が連鎖している北西の山がちな地域。
 北部のニンネス湿地帯。石灰岩の丘陵地帯…石灰岩質の丘陵地帯は南へと続き、泥炭質のネッソス。さらにそのほとんどが丘陵地である東部。
 標高の高い北部および西部は鉱山などの資源が豊富で、比較的標高が低いが数多くの湾や湖などの水源が豊富なのは南部および東部だ。半島などを含めた東部や南部の海域に位置している大小さまざまな島も昔はアヴィランドの領地だった。
 広大な土地を所有していたアヴィランド王家の血筋は今でも建国の始祖と呼ばれて崇められている――ヴィルバーンとグリアスの王家のことだ。
 国力、権力、自他共に認められていた王国は周囲を海に囲まれている上、すぐ隣には中央大陸があるのでアヴィランドは古くからの海運立国だった。
 船舶技術は、遥か南に位置する海の連合国家にも匹敵したそうだ。
 そんな強国であったアヴィランドの最後の王は、クレド・ル・リヘルアータ=オルレアンだ。
 後に《狂気の王》と呼ばれるリヘルアータ六世である。
 リヘルアータは幼い頃から虚弱で精神を病んでいたといわれ、それは成長してからも付きまとい彼の王の人生に影を落とし続ける事となった。
 リヘルアータ六世として即位してすぐに南海域に存在している島国の民族たちとの間で統治においての問題が発生する。
 虚弱体質で陰鬱としたリヘルアータ六世は政治をないがろにして自己に籠りがちだった為に、有力者や王妃アンジュリーヌによって国政を左右され続けた結果、貴族たちの横暴に島国先住民族たちが反発したのだ。
 所詮は蛮族と侮ったアヴィランドの貴族たちであったが極端な人員の差があったにもかかわらず、機動力と総括力に大きな隔たりがあった。それは戦において絶大な効力をきたし、戦況はアヴィランド側に思わしくなかった。
 有能な指揮官がいなかったことや軍自体の士気も弱かったことなど、あらゆる原因が重なりアヴィランド軍は押され続け、とうとう島国の民族たちがアヴィランド軍を追い詰め、ついにはアヴィランド軍の守備するボッドを攻め落としたことによってアヴィランド勢力のほとんどが敗走した。
 たかが少数民族による反乱に栄えあるアヴィランドが敗北した。
 そのあってはならない事実によってリヘルアータ六世の権威は完全に失墜しアヴィランド国内は混乱に陥った。
 王国内が混乱する中、権力は政治中枢にあり実力者であったランカー公、王家支流ランカー家のクドワド二世の孫に移動していった。
 かつてクドワド二世の末裔であるリヘルアータ六世は有力者や王妃アンジュリーヌの計略によってクドワド三世を廃して王位を簒奪していた。
 そのリヘルアータ六世は民心の支持を失った。
 ならば、同じクドワド二世の末裔であるランカー公にも、リヘルアータ六世を廃して王に即位する権利があるではないか…というわけである。
 リヘルアータ六世とランカー公は、ランカー家とヴィクトリア家――リヘルアータ六世の生家――に分かれて激しく対立することになり、ついにセルトリアの戦いで戦端が開かれた。
 以後、アヴィランド国内で血みどろの戦がくり広げられることとなる。
 意志薄弱なリヘルアータ六世に対してブロブアの戦いで優位に立ったランカー公は王位を目前にしたものの、クッフィールドの戦いで戦死してしまう。
 この危機に際してランカー公子は一族の有力者シェタイン伯や弟達と結束を固めてヴィクトリア派を破るとリヘルアータ六世に退位を迫り、クドワド四世を称して即位したのだ。
 王位に就いたクドワド四世は国内の建て直しに着手するも間もなく、愛人ルビアナとの婚姻が絡んだ外交問題や政権内の主導権をめぐってシェタイン伯やその娘婿と対立してしまい、それが災いしてシェタイン伯はリヘルアータ六世の妃アンジュリーヌらに主導されたヴィクトリア派に寝返ってしまう。
 さらにシェタイン伯はアンジュリーヌ妃と共謀してクドワド四世を追い落とした。
 即位して一年も経たぬ間にクドワド四世は追放される事となったのだ。
 この悲劇とも呼べない喜劇を企んだのは、クドワド四世によって夫リヘルアータ六世を亡き者にされた王妃アンジュリーヌだった。
 まんまと陰謀を成功させたアンジュリーヌは影でほくそ笑んだに違いない。
 クドワド四世を追放した後、アンジュリーヌはリヘルアータ六世の子をリヘルアータ七世として即位させたのだが、実はシェタイン伯の娘婿ランス公は密かにリヘルアータ六世以後の王位継承を望んでいた。
 しかし、シェタイン伯の別の娘がリヘルアータ七世の継嗣と結婚したことから、その望みを絶たれて失望し王宮から逃亡する。
 ランス公は同時期に反攻の機会を窺っていたクドワド四世とログスタン公と密かに接触し、和解をしていたのだ。
 勿論、ランス公が向かった先はクドワド四世の元だった。
 彼らはアヴィランドの王都ミンガムルに攻め入ると、シェタイン伯とヴィクトリア派連合軍を打ち破った。
 王に復帰したクドワド四世が始めに行なった事はヴィクトリア派の徹底した駆逐である。
 一度裏切られた経験からクドワド四世は表面上はどうあれ内心極度の人間不信となっていたのだ。
 王座の為に共闘したランス公さえも、かつて自分に反抗したという理由を持って粛清し、反乱の芽を摘んで国内を安定させた。
 その翌年、王都をトルリーズへと移動させる。事実上、これがランカー王家の始まりである。
 しかし、そのままでは終わらなかった。クドワド四世の病死によって火蓋はとって落とされた。
 クドワド四世の即位時に遠ざけられていたログスタン公が、まだ生まれてばかりであったクドワド四世の子を人質とし、母后サリエナ・リムエスタの一族を排除してクドワド五世として即位したのだ。
 この王位簒奪ともいえる即位によって国内はまたも混乱し、各地で反乱が起こった。
 その頃、中央大陸のガリア帝国に亡命していたヴィクトリア家スカーレットの息子リチャード・ユキエルは母国の危機を知る。
 若きリチャードは自ら兵を率いてグラディウスに上陸すると同時に、要塞都市アスタインを占拠していたクドワド五世を撃ち破った。
 これが後に有名な赤薔薇の戦いである。
 リチャードの軍旗は全て深紅であったという。その軍旗には大輪の薔薇が金で刺繍されていたのだ。
 勇ましく戦場を駆けるリチャードの堂々たる姿、さらにその後ろに従う赤薔薇の大群と甲冑に身を包んだ騎士たちに民心は歓声を上げたという。
 リチャード・ユキエルは、ランカー家に和睦を申し出るとアスタインへと腰を下ろし、リチャード一世として改めて即位した。
 これがヴィクトリア王家の始まりである。
 さらに両王家はグリアスとヴィルバーンと国名をしたためると国境を定めた。
 リチャード一世の治世、以後三十年間は小さな諍いは起きたものの内戦が勃発する事はなかった。休戦へと突入したのである。
 その間にも民心の心はリチャード一世へと敬慕していった。
 危機感を覚えたグリアスのランカー王家はリチャード一世が病に倒れた隙を見逃さず、ヴィルバーンへと打って出た。
 その時、ランカー王家は国旗に白薔薇を掲げた。
 リチャード一世がヴィクトリア王家の紋章である赤薔薇を掲げた事への反発心なのか対抗心なのかは分からない。だが、これがアヴィランドから枝分かれした同じ血を分けるランカー王家とヴィクトリア王家の最後の戦いとなったことは確かだ。
 長い最期の戦い…それが百年にもわたる冷戦の始まりになるとは当時、誰も考えもしなかっただろう。
 両国のいがみ合いから始まった百年にわたる冷戦を人々はこう呼んだ――薔薇戦争ブラッディ・ローズ――と…。

 背筋をぴんと張ったままエリーゼはちょんと首を傾げた。
「薔薇戦争?」
「百年戦争の俗称だよ」
 エリーゼの腰に手を添えながらダンスをリードするマギステル卿は人好きのする笑みを浮かべた。
「グリアスとヴィルバーンが互いに白薔薇と赤薔薇を掲げたことから由来するらしい」
「へぇ…」
 アヴィランドの国旗は交差した二つの剣だったが、元々ヴィクトリア家の紋章は赤薔薇で、ランカー家は白薔薇だった。一族の紋章を国の旗印にしたのだからちゃっかりしている。
「それにしても、リチャード一世はすごいですよね。母国の危機だからといって駆けつけるなんて誰でもできることじゃない。愛国心の強い方だったんですね」
 一人感心しているエリーゼにマギステル卿は「それはどうかな」と悪戯っぽく笑った。
「確かにそのままガリア帝国にいればなんの危険もなく暮らせていけたのに、それを捨ててこちらに戻った勇気は称賛に値するけれどね」
 リチャード一世は中央大陸のガリア帝国に亡命していたヴィクトリア家のスカーレットから生まれたが、アヴィランドにおける王位継承法による条件を満たしていたので正当な王位継承者であった。
「生まれも育ちも中央大陸の帝国だったリチャード一世が何を考えてグラディウスに戻って来たのかは誰も分からない。王座か権力か、それとも正義感、愛国心だったのか…今でも論議は交わされている」
 当時、ヴィクトリア家の直系はスカーレットとヴァイオレットという年の離れた二人の姉妹しかいなかった。
 男児ならば、一族とともにランカー家と対抗する術があっただろう。しかし、実際いるのは女児であり、当時のヴィクトリア家当主は二人の姉妹を血まみれの戦場に置いておくよりも他の有効な手段に使うことにしたのだ。
「他の有効な手段…つまり政略結婚ですか」
「そのとおり。姉であるヴァイオレットはガリア帝国の皇帝ゼノン・ラークに輿入れする為に中央大陸に渡っているんだ」
「帝国の皇后になったってことですか」
「残念。実は皇帝ゼノン・ラークには既に正式な妃がいた。皇后アリドネアだよ。皇后は先皇帝オルドの皇女でゼノン・ラークは婿養子になったんだ。だからヴァイオレットは皇后にはなれず、皇妃止まりってこと。あ、ガリアの君主号とか勉強した? こっちとは違う部分もあるんだけど」
「大丈夫です。えーと、確か皇帝の妻は正式には一人しか存在せず、それが皇后なんですよね。皇帝と同等の権力を行使できる妻」
「そうそう。で、皇妃は簡単にいえば皇帝の愛人ってことになる。こちらでいえば側妃ってことだね。でもこちらの側妃と違って帝国の皇妃っていうのは法律的に皇帝の内縁の妻だって保障されてるんだ。だからある程度の権力が持てるわけ。まあ、そうはいっても立場では皇后には及ばないし、子供を身ごもってもその子が帝位につけるわけでもないんだけどね」
 マギステル卿に支えられ、くるりと一回転したエリーゼは不思議そうに瞬いた。
「でも皇帝の妻は一人だけって決まっているんじゃないんですか? 帝国はこちらと同様に一夫一婦制ですよね? 妻以外の女性はあくまで法律では認められない筈では…」
「それが帝国のややこしいところなんだ。帝国の領土がどれくらいか知ってる? ヴィルバーンやグリアスの比じゃないよ。中央大陸の《西の雄》の名はそれ相応の実力がなければ名乗れないし、称されないさ。帝国内の領地はかなり正確に分布されているんだけど、その中に選帝侯領っていうのがあってね――ガリアの場合、選帝侯の中から皇帝を決めるんだけど――それが四つある」
「選帝侯は四人いるって言うことですか?」
「うん。随分昔は神聖皇国の皇王から戴冠することで皇帝が決まってたみたいだけど、神聖皇国から完全な独立を果たしてからは四候の中からもっとも相応しい者が皇帝として選出されているんだ。その皇帝の妻はより強力な後ろ盾がある有権者の娘でなければならないっていうのがあっちの風潮でね。やっぱり選帝侯の血筋から選ばれることが多かったみたいなんだ。婚姻による結びつきを重視しているから、皇帝は三人まで妻を持てる…初代皇帝が三人の妻――神話ではうち二人は女神だったみたいだけど――を娶ったことから暗黙の了解みたいになっているんだ。自国の有力な妃を娶っても、他国の後ろ盾を持つ妃を娶れるようにってわけだね。無論、そのうち一人は正式な妻でなければならないみたいだから、皇后を除いて二人の皇妃を持てるってことだ」
「完全な政略結婚ですね」
「そうなんだ。ガリア皇帝は気苦労も多いんじゃないのかな。ゼノン・ラークの場合は異例の出世だったけど当時の情勢を鑑みれば妥当な選択だっただろうね」
 ゼノン・ラークの家柄は軍門であり、若くして親衛隊隊長に抜擢されたほどの生粋の軍人だ。親衛隊は皇帝を守るための組織された精鋭部隊で、ゼノン・ラークはそこで頭一つ飛びぬけていたという。
 先皇帝オルドの遺言と元老院の後押しを受けて皇帝の後継者として選ばれた。先皇帝オルドは亡くなる直前まで中央大陸に広がりつつあった動乱を懸念していたのだ。
 その頃は中央大陸も戦乱の世に突入しようとしていた。
 世にいう暗黒時代の到来である。


  

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