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汝、その薔薇の名

7.赤燐の盗賊 4


 王宮を騒がせている噂の根源であるエリーゼは自分が王宮中を驚愕の渦に叩き込んでいたとは露知らず、おいしそうにクリームをつけたパンを頬張った。
「エルダランとの国境の山岳地帯には以前から山賊が多発していただろう? いまさらのような気がするが…」
「ですが、最近、その山賊たちの活動に変化が起きているらしいのです。狙うのは私腹を肥やした領主や横暴に振る舞う悪徳貴族だけらしくて、一般の市民には無暗に危害を加えたりはしないとか。巷では義賊として一目置かれているそうです」
「しかし山賊は山賊だろう? 交通料だと称して国境を越えようとする商人たちから金を巻き上げているとの報告があったと記憶しているが?」
「いや、ミハエル。考えればそれだって払えない値段じゃないし、他で報告される被害よりは格段に危険度が少ないのも事実だよ。実際、商人たちは危害を加えられず、解放されているんだからね」
「そうです。それに軍隊並に統率がとれているのも変です」
「どういうことだ?」
「噂ですが、先ごろエルダランで捕り物があったようでしてね。…――私はそれが噂ではなく事実だと確信していますが、なにせ情報源が確かなものでして――」
「捕り物?」
 エリーゼが首を傾げる。
「犯罪を犯した者たち、又は違法な組織を捕縛することの言い回しだよ」
 マギステル卿はさらりと説明するとソラマメが添えられたハムを食べた。ニヤリと笑う。
「その様子からして、失敗したんだね」
「ええ、それなりに準備して捕まえようとしたらしいのですが…こてんぱんに負かされたとか。エルダランの騎士団は放々の体で引き返したそうです」
「なんだそれは」
 ミハエルは呆れたように呟いた。
「エルダランの騎士団はなにをしているんだ」
「それだけ山賊が手強かったということかな…。騎士団は訓練を受けた集団だよ。普通、山賊に負けるなんてことはありえない。さらに言えば、近くで捕り物があったにもかかわらず、その報告がこちら側にされていないのもおかしい」
 ミハエルは眉をひそめてマギステル卿を見たが、何も言わず葡萄酒を飲んだ。
「……レシンの言うとおり、これはちょっときな臭いね」
 胡椒をふった焼きトマトにナイフで切れ込みを入れる。甘酸っぱいトマトを味わいながらエリーゼは、考え込むマギステル卿と難しい顔をするミハエルではなく、レシンに尋ねた。
「その山賊たちってエルダランの山賊なんですか? それともヴィルバーンの山賊?」
「難しい質問ですな。国境の山賊というのは国を追われた者や、自ら飛び出してきた者たちなどの荒くれどもが寄り集まっていますから、どちらに属すのかと聞かれると少々困りますね」
 違う質問なのに似たような答えをエリーゼは違う人間から聞いた。
 頭にターバンを巻いた、謎めいた男を思い出していると、給仕をしてくれているマゼルが言った。
「困るも何もないでしょうに、あそこらの山賊はエルダランの山賊に決まってますよ」
 とろとろのチーズが湯気をだす鶏肉料理をテーブルにのせながらマゼルが自信満々に言い切る。不思議に思ったエリーゼに気がつきなんてことない言わんばかりにマゼルは笑う。
「山賊を取り仕切ってるのは、ベン・グレンの盗賊なんですから」
「ベン・グレンの盗賊?」
 きょとんとするエリーゼとは違いマギステル卿とミハエルはパッと顔を上げた。
「まさか…」
「それは本当なのか?」
 慌てたのはレシンだ。
「マゼル!」
「なんです? 私は嘘は言ってませんよ」
「嘘ではなくても根拠もないだろう」
 マギステル卿とミハエルの厳しい視線にレシンは嘆息した。
「あくまで噂の域に過ぎません」
「だが、そう言う噂があるんだな?」
「…はい」
 隣で舌打ちしたマギステル卿にエリーゼはこっそり聞いた。
「ベン・グレンの盗賊ってなんですか?」
「有名な義賊さ。一年ほど前から人々の口に上るようになった。活動範囲はそのほとんどがエルダランだが、他国にも出没している。神出鬼没の盗賊で、誰もその正体を知らない。その鮮やかな手並みと捕まえようとしても捕まえられないことから、盗賊の中の盗賊と呼ばれている奴だよ」
「それはすごいですね」
「すごすぎて逆にムカつくよ」
 悪態が聞こえたミハエルは苦笑する。
「騎士団が総力をあげても尻尾さえつかませないからな」
 ふんと鼻息をつくとマギステル卿は顔を顰めた。
「もし本当にベン・グレンの盗賊が、山賊を率いているならやっかいなことだよ」
「違いない」
 マッシュルームのスープに、フルーツが盛られたサラダを平らげた後、食後の酒を軽く飲むと、エリーゼは食堂を後にした。マギステル卿とミハエルはまだレシンと話があるようだった。
 用意されている部屋に戻れば、ピクシ―はいなかった。おそらくどこかへ出かけているか、この館の探索でもしているのだろう。
 部屋にはあらかじめランプが付けられていたので、仄かに明るい。寝室の二重に下がった重たそうな濃紺色のカーテンを手でよけて窓の外を見る。
 窓の外には、広い放牧地と田園風景、その後ろには何処までも続く山並がうっすらと見えた。空には夜を支配する月が輝いている。まだ寝るには早い時間だが、夜の闇が濃くなりつつあった。
 窓の外をぼんやりと見ていると、梟が一羽、視界を横切った。目を見開く。ギラギラと底光りする三つの眼球とガラス越しに目が合った。
 振り返るのと、その毛深く長い足が伸ばされるのは同時だった。
 本能的に身を屈めた瞬間、窓硝子が割れる音が響いた。
 頭上から降ってくる硝子の破片から腕で頭を庇うようにしながら中腰のまま、そこから逃れる。
 緊急事態。頭の中で危険を表すようにガンガン鐘が鳴っているようだ。危険は去っていない。続いている。
 立ちあがった瞬間、それまでエリーゼが居た床に太く鋭い足が突き刺さる。分厚い木の床は割れ、あっけなく穴が開く。
 手に取った椅子を振り上げたエリーゼは躊躇なく襲撃者に向かって振り下ろした。バキッというものすごい音がした。見れば、椅子が半壊していた。
 相手は動き回っている。ピンピンしているのだ。
 なに? 盾か甲羅でも持ってるの? それってどんな身体の作り?
 まったく、結構な力をこめてぶん殴ったつもりなのに。
 エリーゼは椅子だった木の欠片を放り投げ、扉まで急いで走るが開かない。ノブを回してもガチャガチャとむなしく音がするだけ。
 閉じ込められた。
 エリーゼは扉を背中にすると襲撃してきたものを見た。
 のそりと部屋の影から這い出てきたのは出てきたのは硝子や床を割った毛深く太い四対になっている八本の長い足、鎌状の鋭い鋏角をカチカチと鳴らす、蜘蛛だった。
 それも普通の蜘蛛ではない。人間ほどの大きさの、黒い蜘蛛だ。
 頭部に並ぶ三つの濁った眼球がランプの明かりを反射させ、妖しく輝く。
 エリーゼは自分の失敗を悟った。
 あの時、森の中で踏みつぶした術でできた蜘蛛と同じ魔力を感じる。気配を隠し、今の今まで潜み、つけ狙う隙を窺っていたのだろう。
 エリーゼは蜘蛛と睨みあうが、先に動いたのは蜘蛛だった。
 足を振り上げ、先端の鋭い爪をエリーゼ目がけて突き刺すために、飛びかかってくる。エリーゼは素早く逃れた。目標物を見失った蜘蛛はガツンと扉にぶつかるが、すぐに体勢を整えた。
 ガツン…?
 エリーゼは扉を見た。穴があいてもいなければ壊れてもいない。
 じっと見つめれば、扉の表面にうっすら発光するものが浮き上がってくる。円形の記号と普通の人間では読むことも書くこともできないであろう文字で描かれた魔陣が浮きあがっているのが見えた。
 術で造り上げられた空間に閉じ込められているのだ。どうりであれだけの物音がしたにもかかわらず、誰も駆けつけてこないわけだ。
 蜘蛛はまるで嘲笑うように口である鋏角をカチャカチャと動かした。
「昼間の復讐でもしにきたの? 踏みつぶしたことが気に入らなかった?」
 三つの眼球がぎょろぎょろ動く。
〈―…オマエ ハ ナニモノ ダ…―〉
 ジ、ジッと雑音混じりの聞き取りにくい声。途切れ途切れの単語に耳を済ませる。
〈―…ツヨイ チカラ ノ ケハイ エモノ ト セッショク シタ キケン ハイジョ スル…―〉
 声が途切れた瞬間、口からシュッと吐き出された粘着質な物体をエリーゼは避けた。避けた思った。だが、忌々しい事に、ドレスの裾が壁に縫い付けられてしまった。
 ああ、だからドレスは好きじゃない。重いし、窮屈だし、動きにくい。肝心な時にまで足手まといの元になる。もう!
 エリーゼに狙いを定めた蜘蛛は距離を詰めた。爪がギラリと光る。
 蜘蛛が足を突き出した瞬間、ランプの明かりで床に出来上がっていたエリーゼの影が動いた。
 むくりと床から湧き上がったと思うと何方向にも枝分かれし、部屋の天井まで上ったかと思うと、重力に従い一気に落ちる。
 瞬きしていたら見のがしてしまうほど、一瞬の出来事だった。
 エリーゼを襲おうとしていた蜘蛛は、串刺しにされていた。蜘蛛を突き刺しているのは、鋭い槍のような何本もの黒いエリーゼの影だったものだ。
 呆気にとられているエリーゼの目の前で、蜘蛛は気味の悪い絶叫を上げながら、消えていく。
 残ったのは床に深々と突き刺さる黒い槍だけだった。
 それもすぐにシュルシュルと動きだし、一つの影に戻る。今度はエリーゼの影には戻らず、人の形をなしながら。
〈―…オ怪我ハアリマセンカ…―〉
「……大丈夫です」
 取敢えず、エリーゼはそう答えることができた。
 ちょっとしたすり傷はあるが、命にかかわる怪我はない。五体満足だ。息をしている。喋ることもできる。間際まで命の危険にさらされていたことを考えれば十分だ。
 黒い影は手を鋭利な刀状に変化させると、壁に縫い付けられているドレープの部分に振った。スパッと切音がしたと思うと、エリーゼは壁から離れることができた。
 見れば、壁には蜘蛛が吐き出した既に硬質化している粘液とそれによって縫い付けられるようになっているドレスの切れ端が柳の木の枝ように垂れ下がっている。ドレスを持ち上げてみれば綺麗な切断面と共に、裾の一部が切り取られていた。
 ゆらりと揺れる人の形をした黒い影を見つめ、エリーゼは見知った気配を感じて納得した。
「ファルツさん」
 頷いたのだろう。黒いフードが揺れる。
〈―…主ヨリ貴女ノ警護ヲ命ジラレマシタ…―〉
 低い声だが、先程の蜘蛛に比べるとすらすらとした口上だ。雑音も混じっていない。
 おそらくそれだけ術の性能が違うのだ。蜘蛛を操っていた術師よりもフリードリッヒの魔力が強いということだろう。それは、蜘蛛が影に負けたことで明らかではあるが。
〈―…間ニ合ッテヨカッタ…―〉
 相手の術師が張った結界を破るのに思ったより手間がかかり、出てくるのが遅れたらしい。確認すれば、扉に浮かんでいた魔陣があった場所には斜めに抉ったような傷があった。魔陣は既に消えている。
「助けてくれてありがとう」
〈―…イイエ、命令デスノデ…―〉
 そう言って消えようとする影に待ったをかける。
「ピクシーを知らない? 私が食事へ行く前はこの部屋に居たの。無事かしら?」
 しばらくの沈黙の後、影のマントの中からぺいっとピクシーが放りだされた。
「ぎゃう!」
 ごろごろと床に転がったピクシ―は起き上がり辺りを見まわした。
「なんだ? なんだ!?」
〈―…厨ニ居マシタ…―〉
 低く抑揚のない声に顔を上げたピクシーは、のそりと立つ影にぎょっとするが、すぐにぷんぷんと怒りだした。
「おまえか! いきなり引きずり込みやがって、急にびっくりするだろうっ」
 ピクシーの文句を影はさらりと無視する。
 その様子はきゃんきゃん吠えて威嚇する小型犬の力量を知り、自分の相手にもならない弱者の好きにさせている大型犬のようだった。
「そのマントの中どうなっているの?」
 エリーゼはまじまじと見つめながら尋ねると、影は少し戸惑ったようだ。
「貴方は私の影から出てきたわ。つまり闇に属している。影を通してものを見たり、移動したりできるの?」
〈―…ハイ…―〉
「すごい!」
 エリーゼは手を叩いて喜びを露わにした。
 ミハエルが言っていた、フリードリッヒの便利な技とはこのことだったのだろう。
 使役を見るのは初めてだった。養い親は魔導師で、正式な契約をした使役――使い魔――がいるのだが、見たことはない。どんなにせがんでも見せてはくれなかった。しつこくせがめば鉄拳にみまわれたので、エリーゼも十回拒否されてからは口に出すこともなくなった。
 はしゃいでいたエリーゼは黙り込んだままの影に気がつく。
「あ、ごめなさい…」
 気を悪くしたのだろうか。好奇心をこめて凝視してしまったことを恥じる。彼らにとって使役されているということは自由を奪われてると一緒だ。
 しょんぼりとするエリーゼに影は不思議そうに、頭を僅かに傾けた。
〈―…謝ル理由ガ分カリマセン。他ノ者ハ知リマセンガ、我ラハ代々ファルツ一族ニ仕カエテイマス…―〉
 エリーゼは驚いた。それはつまり…。いや、尋ねるのはやめよう。そのかわり気になったことがある。それは…。
「ファルツさんには貴方以外にも使役がいるの?」
 キラキラと目を輝かせるエリーゼに影は素直に頷いた。
「なら貴方が私の所にいてもファルツさんの安全は心配いらないのね」
 エリーゼはほっとする。次にわめいているピクシーに声をかけて事情を説明した。ピクシーは部屋の惨状を見て、ケッと悪態ついた。
「やっぱりな。あの時、嫌な感じだったんだ。悪意がチクチク刺してくる感じだったもんな」
「術師の能力はファルツさんよりも劣るみたいだけど、侮れないわ」
「ファルツって誰だ?」
「私の…、えーと義理のお父さんになる人?」
「? おまえの父ちゃんなのか?」
「本当のお父さんではないけど、これからお父さんになる人かな?」
「? 父ちゃんは父ちゃんだろ? 人間ってわけが分からないな…。まあいいや。そいつ魔導師なのか?」
 ゆらゆらと立つ影を気にしながら小声になるピクシーに、エリーゼは首を振った。
「魔導師ではないって言ってた」
「使役がいるのに? しかもあいつかなり強い気配を感じるぞ…」
 ピクシーは腕を組んでぶつぶつ呟く。
「それよりも、無関係の私が襲われたということは…彼らが心配だわ。空間を外界から閉ざす結界の魔陣に使われていたのは古代文字だった。古代文字を扱えるのは魔導師だけ」
 すなわち相手の術師は、魔導師か、もしくはその知識を持っている者ということになる。
「無関係っていうか…、おまえ思いっきり邪魔しただろ。術を踏みつぶして消しただろう」
「狙われていたのは彼らだもの…、たぶん目的はランスね。今頃、私みたいに襲撃を受けていたら大変だわ。武器を持って襲い掛かってくる人間とは違うもの。彼らが対応できるとは思えない。ランスは強い加護を持っているみたいだったけど、無自覚みたいだったし、術に付きまとわれていることに気が付いていなかったぐらいだから…」
 ピクシーの反論を聞こえないふりをして話を続けるエリーゼに、元に戻るタイミングを逃していた影が反応した。
〈―…危険デス…―〉
「まだ何も言ってないけれど」
〈―…夜ハ闇ノ時間。魔ガ活動的ニナリマス。貴女ハ既ニ襲撃サレテイル、外ニ出ルノハ危険デス…―〉
「そうね、危険だわ。あの蜘蛛は明らかに殺意を持っていた。私を捕まえようとか脅そうとかではなく、明確に命を狙ってきた。ねえ、これってどういうことだと思う?」
〈―…貴女ハ術師ニトッテ不確定要素。目的ノ邪魔ニナルト判断サレタ…―〉
「そう。あの蜘蛛は、たぶんだけど…ランスのことをエモノだと――つまりこの場合、標的だと認識していた。彼と接触しただけの私でさえ、狙われたのよ? 本当の目的であるランスは私よりもさらに危険にさらされているということだわ」
 エリーゼは顎に手を当てて自分自身に問いかけるように話す。
「彼は私を助けてくれた。少なくとも私はそう思う。それって私は彼に借りがあるということなのよ」
 エリーゼは妖精たちの中で育てられた。こういう時、人間がどうするかなんて知らない。しかし、妖精がどうするかはちゃんと知っている。妖精にとって誰かに助けられたということは意味がある。即ち、借りは返さなければならないということだ。
 顔を上げたエリーゼは影をその深紅の瞳で正面から見つめた。
「私は行きます」
 それ以外の選択肢は選ばない。
 血よりも紅い眼に影は怯んだように揺れた。蝋燭の火のようにゆらゆら…。その様子は迷っているように見えたが、影は静かに頷いた。
〈―…警護ヲ命ジラレマシタ。付キ従ウダケデス…―〉
「ごめんね、あなたにも助けてもらったのに我儘を言って。ファルツさんには私が謝ります」
〈―…ソノ選択ヲ、主ハ責メヌデショウ…―…ソンナ気ガシマス…―〉
 長い髪をしっかりと纏めるとエリーゼは、役立ちそうなものを袋に詰める…と言っても、あまりものを持ってきたわけではないので――元々、宿泊するつもりもなかったので当然だが――寝室のサイドテーブルに用意してあった果実酒が入った小ぶりの瓶――おそらく就寝前に飲めるようにとの配慮だろう――とビスケット、宝石がついたアクセサリーと何枚かのコインを詰める。そして袋をベルトに通して腰に巻きつけた。
 本当は動きやすいようにズボンに着替えたいところだが、生憎と手持ちの荷物の中にズボンはない。
 最後に出発する前にフリードリッヒがくれた鞘に入った小型の短刀――ミハエルには内緒だと言っていた。知られたら怒られるからだ――を腰に差すとエリーゼは床に落ちている硝子を避けて窓のそばに寄る。
 ここは二階だ。飛び降りることもできないことはないが、高さがあるのも事実だ。どうにかして下りられないものかと地面との距離を観察していると、今までの行動をじっと見つめていた影が、エリーゼの背後に音もなくやってきた。
〈―…ドウスルツモリデスカ…―〉
「どうやって下りようかなっと思って検討中」
〈―…下リルコトガ、デキレバイイノデスカ…―〉
 そう言うと、ひょいっとエリーゼを持ち上げて掛っていた鍵を外し窓を開けると飛び降りた。エリーゼが声を出す暇もない。身体が浮いたと思った瞬間には、軽い衝撃がきた。着地したのだと気がつくのと、時間差でドレスの裾がふわりと落ちてくるのは同時だった。
〈―…下リマシタ…―〉
「その前に一言欲しかった。心臓が止まるかと思った」
〈―…心臓ハ動イテイマス、止マッテイマセン。止マル時ハ死ヌ時デス…―〉
 律儀に指摘してくる影に腰と膝の後ろを支えられたままの恰好でがっくりとしていると、頭のてっぺんにぽすんと衝撃を感じた。
 もぞもぞと頭から肩へと移動してきたピクシーがにやりと笑う。
「おいらもついてくぞ」
 影が、エリーゼが昼間入った森の方へと顔を傾ける。
〈―…アチラノ方カラ魔力ヲ感ジマス。先程ノ襲撃者ト同ジ気配デス…―〉
 エリーゼも顔をあげて森の方を見る。
「大変だわ…っ」
 エリーゼを抱えたまま影は走り出す。ピクシーは落とされないように慌ててエリーゼの肩にしがみついた。
「ちょ、ちょっと待って…、ミハエルたちに伝言を…」
〈―…魔力以外ニ人ノ気配モ…―…オソラク襲撃サレテイマス…―〉
 それは急がないと手遅れになる可能性がある。
 エリーゼは心の中でミハエルとマギステル卿に謝った。
 帰ったら部屋を抜け出したことを謝り倒すしかない。エリーゼは三日三晩の説教も甘んじて受ける覚悟をした。


  

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