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汝、その薔薇の名

7.赤燐の盗賊 5


 刻一刻と忍び寄る夜の気配におびえているかのように、頭上を覆う木の枝がざわざわと揺れている。
 エリーゼを抱えたまま走る影は轍が残る丘の道をあっという間に下ると、草木が生い茂っている小道に何の躊躇もなく突入した。
 人一人を腕に抱えているとは思えないほどの足の速さだ。視界を横切っていく森の中の景色は跳ぶ矢のように早く、とてもではないが焦点を当てることはできない。何とかして見ようとすれば、目を回して気持ち悪くなるだろう。だから、一定の速さを保ちながら無駄のない動きで森の中を疾走する影の動きの邪魔にならないよう、エリーゼは出来るだけ身を縮めながら息をひそめて抱えられていることに集中した。
 木の根や岩や落ちている枝などの障害物などないようにぐんぐん進んでいく影は、まるで走っているというより、氷の上を滑っていくような不可思議な動きだった。
 抱えられているエリーゼに震動が全く伝わってこない。人間にはまずできない動きだ。
 大きな木の幹を過ぎたあたりで、影は首を傾け、進路を変更した。
 その理由にエリーゼも気がついた。
 領主の館で閉じ込められた結界とは違うが、こちらを圧迫するような妨げを感じる。
 こちらを妨害しているものの理由が分からない以上、そのまま進むのは危険だ。
「速度を落としてくれないかな?」
 影は無言のまま走る速度を緩めた。馬と同じくらいの速度だ。これなら周囲を観察することができる。
 エリーゼは顔を上げ、密集している木立の先を見つめる。
 じっと凝視していると、視界の端で空間が突然様々な絵の具を無茶苦茶にかきなぐったようにぐにゃりと歪んだ。それは一瞬のことだったが、エリーゼは見逃さなかった。
 エリーゼは深紅の瞳で一点を見つめたまま、腕を上げて指さした。
「あそこに切れ目がある」
 その事実を言い当てた瞬間、目に見えていた森の姿はがらりと一転する。辺りにどんよりとした重苦しい空気が満ち溢れ、目の前に現れたおぞましい色彩の膜に影は足を止めた。
〈―…術師が使用している術ノ所為デ、コノ森ノ一部ニ魔導ノ場ガデキテシマッテイルヨウデス…―〉
「ここだけは他の場所より弱いみたい」
 影の腕からおりると、先ほど見つけた切れ目を観察しながらエリーゼは指摘した。
「ここから入れると思う」
 少し考えるそぶりを見せてから影は頷いた。
〈―…術ノ継目デショウ…―〉
 エリーゼは腰に括り付けておいた袋の中から小ぶりの瓶をとりだすと、蓋を開けて指を入れた。
「聖水には及ばないかもしれないけれど、お酒だって神々への捧げものになるからこれで代用になると思う」
 酒で湿らせた指で自分の額に三角形と三つの棒を描く。
〈―…目クラマシノ印デスネ…―〉
「聖水ほど効き目はないかもしれないけどないよりはまし。相手の術の空間に入るんだから対策はしておかないと」
 ピクシーは妖精なので必要ない。エリーゼは影を見上げた。
〈―…必要アリマセン…―〉
 影はエリーゼの言いたいことを瞬時に理解した。
〈―…我ハ闇ニ属シテイマス、夜ノ気配ヲ隠レ蓑ニスレバ気取ラレズニ接近デキルデショウ…―〉
「わかった」
 酒の入った瓶を元に戻すとエリーゼは濁った膜に手を当てて、ゆっくりと押してみた。するとずぶずぶと手が中へと沈んでいく。粘土の中に手を突っ込んでいるような奇妙な感触だ。
 エリーゼは影を一瞥してから、膜の中へと入っていく。ピクシーはエリーゼの頭にしっかりとしがみついている。影は周囲を警戒しながら、エリーゼの後に続いた。
 膜は薄く、通り抜けるのにそうたいした時間はかからかった。少し息苦しかったが、とくに目立った害はなかった。
〈―…術師ニ気ヅカレル前ニ行動シナケレバ…―〉
「うん」
 耳を済ませれば、空を切り裂く鋭い音と草木を踏みならす足音が聞こえてきた。生い茂る野草を分け除けながら、小走りでそちらに向かう。
 唐突にエリーゼは走るのを止めた。
 木の幹に寄りかかり、心臓と身体の痛みを和らげるように深呼吸しているランスを見つけたからだ。
 大きな怪我はなさそうだ。ほっとしたエリーゼだったが、木の上からランスに狙いを定めている大蜘蛛を見つけてぎくりと肩を強張らせた。ランスは気が付いていない。エリーゼは無意識のうちに走り出していた。
 ランスがエリーゼに気がつくのと同時に大蜘蛛が木の上から獲物目がけて飛びかかった。腰に差していた小型の短刀を手にとると、エリーゼは大蜘蛛の眼球目がけて抜き放つ。
 磨かれていた短刀は鋭く肉を断ち、どすんと命中した。
〈―…キシャアァァ…―〉
 不気味な絶叫が森の中に響き渡る。
 跡形もなく消えた大蜘蛛に注意を向け、他に襲撃者がいないことを確認してからランスはエリーゼへと顔を戻した。
「今度はあんたに助けられたみたいだな。とはいえ、あんた…こんなとこでなにしてんだ?」
 驚きを含んだ声だが、近づいてくるエリーゼを見てにやりと笑う。
「また迷ったのかい? お嬢さん」
「はい。貴方を探して迷子でした」
 にっこり笑い返す。あまりにも堂々としているエリーゼにランスは目を丸くした。ランスが言葉に詰まっているうちにエリーゼは大蜘蛛を木の幹に磔にした短刀を取り戻した。
 小さな白いエリーゼの手にしっくりと馴染む。
 深々と突き刺さっていた幹の傷をまじまじと見た。女でも扱えるぐらい軽量だが、けして軽いわけではないことが証明されたわけだ。
 装飾性よりも実用性を重視しているのか飾りはないが、銀の平面にはとぐろを巻く蛇が彫られている。
 左右対称の美しい刀身は透き通っている。抜き身の刃は蛇の牙のようにキラリと輝いた。
 魔力で造り上げられた相手にも有効ということはかなり強い魔力が込められているのだろう。
 フリードリッヒが何故ミハエルには内緒で渡してくれたのかよくわかった。
 短刀は人体の急所を的確に狙わないと致命傷を与えられないため、武器としての絶対的な威力はあまりないという通常を無視し、攻撃用に威力がある上に耐魔導具とは恐れ入る。
 護身用具にしては随分と物騒な短刀ダガーだ。
 まあ、実際役に立つのだから文句はない。ただ、フリードリッヒのやることなすこと驚かされるだけだ。
 フリードリッヒにしみじみと感謝しつつ、いそいそと短刀を鞘におさめた。
 そんなエリーゼの様子を目で追っているランスだったが、その目は笑っていなかった。むしろ冷え冷えとした鋭さがある。こちらを観察しているのだ。そして昼間にはなかった警戒心を感じる。
 あたりまえだ。夜間に襲撃されている途中で、エリーゼは現れた。ランスからしてみればその意図は全く不明だ。敵か味方か見極めなければ命の危険がかかっている。
「昼間はただの迷子になった小兎だと思ったが…。まいったね、お譲さん。あんたいったい何者だい?」
 そう言えば、ちゃんと名乗っていなかった。口を開いたエリーゼが言葉を発する前に影がするりと横に移動してきた。
〈―…静カニ…―〉
 深くかぶってるフードの奥にある顔は隠されていて見えないが、声には緊張感が滲んでいる。
〈―…ドウヤラ気ヅカレタヨウデス…―〉
 ランスが舌打ちした。いつの間に取りだしたのか、指の間に数本の寸鉄を挟み身を屈める。
「お譲さん、今はあんたに構ってる暇はないんだ。ちょっと取り込み中でね」
「狙われているんですね」
「まあな」
「実は私も先程襲われたばかりなんです。術師が使役している大蜘蛛に。おそらく昼間に貴方と出会った時に目をつけられたんだと思います」
「くそっ、あいつら見境もなく…! そりゃ悪いことしちまったな」
 ランスは眉を吊り上げ、苦々しそうに言った。
「標的はやっぱり貴方なんですね。相手は術師みたいですけど、勝算はあるんですか?」
「残念ながら現在模索中だ。うっとおしい蜘蛛野郎に正面から挑んでも痛い目を見るだけだからな」
 エリーゼはランスの厳しい横顔を見た。
「でも貴方なら勝てると思いますけど」
「へぇ、嬉しいこと言ってくれるね」
「事実でしょう? 宿している魔力量だけなら、貴方を狙っている術師は、貴方の足元にも及ばない」
 ぎょっとしたランスを余所に影が警告を発した。
〈―…キマス…―〉
 ―――瞬間、エリーゼは腕をつかまれてぐいっと引かれた。
 少々勢いがつきすぎ、地面から身体が浮いたと思ったら、そのまま流れるような動作で肩に持ち上げられた。鋭い攻撃が突き刺さる前に跳びあがり、影はエリーゼを支えていない方の手を敵に向けて放つ。腕がしなりをあげる黒い鞭となり大蜘蛛を弾き飛ばす。間髪つけず背後の枝の間から飛びかかってきた大蜘蛛の攻撃も避けると、その頭を容赦なくぐしゃりと踏みつけてさらに跳躍した。
 茂みの中から突進してきた大蜘蛛の頭部を寸鉄で串刺しにしながら、ランスは毒づく。
「数が多すぎる」
 暗闇に光る不気味な目が次々と浮かび上がる。
 少し離れた場所から枝の折れる音がした。見れば灰色のローブを身につけた人物が幽霊のように立っていた。やや猫背で細身の体型の男だ。どんよりとして落ちくぼんでいる両目とその周りの濃い隈が、より一層男の表情に暗い影を落としている。
 先が曲線を描いている長い杖を地面につき、こちらをじっと凝視していたかと思うと、薄い唇を震わせた。
「そろそろ悪あがきはやめてはどうだ」
 鑢で削るようなしわがれた声だ。
「悪い様にはせぬ」
 ランスは鼻でせせら笑った。
「どの口が言わせてるんだ? 抵抗を止めた瞬間、この首が胴体と離れることはわかってる。死ねと言われてうんと言う奴がどこにいる?」
「悪いことはいわぬ、無駄なあがきは止めて大人しくした方が利口だ」
 男は疲れたようなか細い息を吐いた。
「友の為にもな」
「サフィアをどうした」
「捕らえた」
「撹乱する為に別行動したのは失敗だったな…。無事なんだろうな」
 男は答えなかった。面倒だといわんばかりに手を振るがランスは執拗だった。
「無事だろうな?」
「……知らん。本当だ。見つけたのはわたしだが、捕らえたのは兵どもだ」
 うんざりした様子の男と冷やかに見据えるランスの間にエリーゼが口を挟んだ。
「その人、嘘は言ってません」
「どうしてわかる?」
「嘘をついてないから」
 ランスが変な顔になる。
「お譲さん、あのな…」
「信じてもらえないかもしれないけど、わかるんです。その人の言葉が、嘘か真実か」
 ランスが言葉を発する前に、エリーゼを凝視していた男が顔色を変えた。
「そなたは…!」
 きょとんとするエリーゼを庇うように影が動いたが、男は気にも留めなかった。
 エリーゼの顔を見て喘ぐように男は言った。
「その赤い眼球…!」
 なにやら口をもごもごさせて呟くと、髪をかきむしった。
「何故ここにいる? 行方知れずとなっていたのではないのか?」
 男の様子にランスはぽりぽりと頬を掻いた。
「なんだぁ? なに、お嬢さんも訳ありなわけ?」
「なんのことかさっぱり。だれかと勘違いしてるのでは?」
心眼、、が二人もいてたまるか」
 エリーゼの呟きを聞き咎めた男が嫌そうに顔を歪めた。
 心眼…?
 エリーゼは聴き慣れない言葉に瞬いた。心眼ってなんのことだろう?
「そうか、昼間に接触したのはそなただな。…―――どおりで、あやうく殺すところであった」
 もうすでに殺されそうになっているのだが、エリーゼは口をつぐんでおいた。
 ランスとエリーゼを交互に見てとると男は「なんたることだ」と呟いた。そしてエリーゼを守るようにつき従っている影に目を細めた。
影法師シャドウだな。ふん…、その殺気をおさめるがいい。もはやわたしに戦意はない」
 そう言うと、杖をくるりとまわした。するとエリーゼたちを囲んでいた大蜘蛛の大群が煙のように消える。
 エリーゼは首を傾げた。
「シャドウ?」
〈―…人ハ我ラノコトヲソウ呼ビマス…―〉
 静かな声には抑揚がないが、男は興味をもったようだ。
「随分性能がいいな。誰に仕えている?」
〈―…回答スル必要性ハナイ…―〉
「そうだろうな」
 間髪告げずに返ってきた返答に気分を害すこともなく男はさもありなんと頷いた。
 ランスが首の後ろに手をやりながら「まいったね」とぼそりと零した。
「一体どういうことだ? どうして急に襲うことを止めた? 心を入れ替えたのか? おれとしてはその方が楽だが」
「戯言を申すな。わたしの仕事は続行中だが…」
 男はエリーゼをちらりと一瞥した。
「ヴィルバーンの領土で心眼を巻きこんだとなると後々厄介なのだ。特に翡翠の魔女に感ずかれでもしたら…」
 忌々しいといわんばかりのいいぐさだが、顔を蒼白にしてぶるりと肩を震わしている。
「あの陰険鬼畜な鬼婆…ああ、思い出しただけでも気分が悪くなってきた……」
 独り言をぶつぶつと言い始めた男にエリーゼとランスは顔を見合わせた。
 物言いたげな視線が向けられていることに気が付きハッと我に返った男は咳払いでごまかすと、ランスをねめつけた。
「とにかく、そなたが逃げる度に追わねばならないのにはうんざりだ。本音をいえばもういいかげん終わりにしたいが、そうもいかぬ。この娘を追い払ったらそなたを捕縛する」
「一時休戦ってことかよ。つーか、嫌ならならやめればいいだろうが。…どうせあんたは雇われただけなんだろう? そこまでする義理があるのかよ」
「そなたをつかまえることが依頼内容なのだ。請け負った仕事は最後までやり通すことが私の流儀だ。特にそなたには散々こけにされたのでな」
「やだやだ執念深い奴ってもてないぜ」
 大げさに肩をすくめて見せるランスに男はちょっとむっとしたようだ。ぶつぶつと「失礼な奴だ…」と一人で愚痴っている。エリーゼがまじまじと見つめていると男はちょっとたじろいたようだ。無意識だろう片足が一歩下がった。
「まだいたのか、そなたは見逃してやるからさっさとどこへなりとも行くがいい。……なんだ?」
 視線を合わせないようにして男はうるさい子犬を追い払うようにしっしっと手を振っていたが、エリーゼがじーっと見つめていると無視できなくなったようだ。…意外と押しに弱そうだ。
 嫌々といった感じでエリーゼの方へと向き直る男に内心で首を傾げる。嫌われるようなことをしただろうか?
 そもそもこれが初対面なのだ。身に覚えが全くない。
「いえ、どこかでお会いしたことありました?」
 男は顔を強張らせた。
「何故そんなことを聞く?」
「私の事を知っているような言動をされていたので。私はあなたを知らないのに」
 蛙がつぶされたような声を男は漏らした。…この人、根は案外素直なのかもしれない。というかわかりやす過ぎる。嘘をついても表情からばれるタイプだ。エリーゼふとそう思った。
「わたしとて知らぬ。そなたと会ったことなど…」
「嘘ですね」
 真っ直ぐに見つめるエリーゼに男は言葉を詰まらせ、深紅の視線から逃げるように横を向いた。
「くそっ…これだから心眼相手は難儀するのだ」
 渋々という感じで男が口を開く。
「確かにそなたのことは知っている。会ったこともある。そなたが赤子の時にな」
 思いがけない言葉にエリーゼはきょとんとした。
「だがわたしが言えるのはそこまでだ。…その様子では自分のことを何も知らぬようだな」
 男は視線を戻しエリーゼを見た。そして嘆息する。
「ならばわたしの口から聞かぬ方がいいだろう。どうせ時が来れば何れ知ることになる」
 その言葉に嘘はないと感じたエリーゼは男の言葉をかみ砕くように頭の中に入れるとにこりと笑う。男は憮然と頷いた。
「わかればよい。こちらの問題にそなたを巻きこむのは本意ではない。この場より早々に立ち去るがいい」
「それには同感」
 それまで瞳を興味津々と輝かせ男とエリーゼのやり取りを観察していたランスが片手をあげて口を挟む。
「お嬢さんが悪い奴じゃないってのは見ればわかる。だからこそ巻き込みたくないね」
「私も貴方は悪人ではないと思いました。だからここへ来たんです」
「…世間知らずなお嬢さん、おれは悪人さ。だから追われてる」
「はい。善人ではないでしょうね。でも悪人でもない。貴方はわたしを助けてくれましたから」
 ランスは苦笑した。
「俺もさっき助けてもらったさ…」
 エリーゼに手を伸ばしかけたランスだったが、聞こえてきた複数の足音に身体を強張らせた。瞬時に手を引っ込めて戦闘態勢になる。影は無言のままエリーゼの前へと進み出た。
〈―…囲マレマシタ…―〉
 男が不満そうに小さく舌打ちした。
 がさがさと茂みをかき分け兵士たちが現れた。前方にいる数人が手にしている松明によって視界が明るく照らされる。エリーゼは影の後ろからちょこんと顔を出し、新たに登場した兵士たち観察した。
 剣呑な空気を漂わせる男たちの身形は昼間エリーゼを襲おうとした野盗と似たり寄ったりだが、身のこなしや雰囲気が全く違う。明らかに統制が取れているようにみえる。変だ。盗賊の類という気がしない。むしろ、れっきとした主に仕える騎士という方がしっくりくるくらいだ。
 明らかに味方とはいえない兵士たちに囲まれたランスの目つきが険しくなる。
「本当におれ一人をつかまえるために小隊を送り込んでくるとはね…おれもえらく評価されたもんだ。人気者はつらいねぇ」
 ランスの軽口を無視するように集団の中央にいる男がエリーゼたちと向き合っている術師に声をかけた。
「導師殿、御苦労でした。後のことは我々が処理します」
「……まて」
 すらりと鞘から剣を抜いた兵士たちに、導師と呼ばれた男が待ったをかけた。
「この娘は関係ない。わたしが連れてゆこう」
「その必要はありません。この場を見られた以上、生かしておくわけにはまいりません」
 眉を寄せた導師に男は「お下がりください」と丁重ながらも有無を言わさぬ口調だった。暗に殺すと宣言されたエリーゼよりもランスが噛みついた。
「無関係の者も巻き込む気か」
「……大事の前の小事。国のためです」
 じりじりと囲いを狭め接近してくる兵士たちの敵愾心にランスは皮肉たっぷりの薄ら笑いを向けた。
「国ね…。違うだろ? お前らのご主人サマの命令だろうが」
「………」
「罪のない人間の命をあっさり奪って良心の呵責も感じねぇのかよ、お前らそれでも剣に誓いを立てた騎士なのか? そんなことを自分の騎士に躊躇なく命じる奴を信じるなんて正気を疑うぜ。そんな奴が一国を治めるとは笑っちまうよ。……おれなら御免だね。そんな国、いらねぇよ」
 吐き捨てたランスに兵士たちは殺気だった。中央の男はぎりぎりと歯軋りで今にも自分の歯をかみ砕いてしまいそうだ。
「貴殿に何が分かる…!」
 堪え切れなかったのは周りの兵士たちも一緒だったようだ。剣を振り上げ突進してきた。それを予想していたようにランスはエリーゼの方を向いた。
「ちょっと熱いが我慢してくれ」
「え…?」
 視界が紅蓮の炎によって染められた。
 ランスが突き出すように出した右手から燃え広がった緋色の火炎は瞬く間に燃え広がり突進してきた兵士たちを飲み込んだ。まるで大きな口をぱっくりと開けたドラゴンのように兵士たちを炙りたて、その悲鳴を糧にして頭上へと咆哮を放つ。炎の舌に弄られた兵士たちがあげる悲鳴と「引け、引け!」という怒鳴り声さえ消し去り、思うがままに人間を蹂躙し追い立てる炎のあまりの熱気にエリーゼは腕で顔を覆った。
『あちぃ…!』
〈―…ッ…―〉
 大人しくしていたピクシーがエリーゼの頭の上でぴょこぴょこ飛び跳ねた。これまで万能を誇っていた影でさえ炎から身を守るようにマントを広げた。
 しかし、不思議なことに、炎は森を避けようとしているようだ。襲うのは人間だけと決めているように。ハッとしてランスを見れば、額に汗を浮かべながら右手を左手で支えている。
 ランスは炎を制御しようとして苦心しているのだ。唐突にエリーゼは気がついた。こんな森の中で火を使えばたちまち燃え広がり大火事となってしまう。だからこの森の中を逃げている途中でこの能力を使わなかったのだ。
 何とかしなければ。ごそごそと何かないかと探す。腰に巻きつけた袋から宝石のついたネックレッスが出てきた。エリーゼはきょろきょろと顔を動かし、目当てのものを見つけると炎を避けてなんとかそこまで辿り着いた。
 木々の根元に座り込み見つけたキノコの周囲を探す。すると恐る恐るといったように顔を出した小人たちがいた。
「こんばんわ」
 小人たちは話しかけてきたエリーゼにびっくりして目を丸くした。芥子粒ほどの小さな小人たちエサソンである。


  

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