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汝、その薔薇の名

7.赤燐の盗賊 10


 表情が見えないスブールの考えが周りに分かるはずもなく、他者から見れば何を考えているかわからない魔導師に国王は諦めたようにグラスに口をつけた。
 スブールの物言いに気になることはあれど、どうせ問い詰めたところで、意味不明な言葉でかわされるのがおちだ。短くもないがたいして深くはない付きあいからそれだけは学んでいる。
 黙々と酒を飲む国王に代わりウィンザー公がスブールの手の中にあるカードに興味を示した。
「珍しいですね、ここで占ってくださるのですか?」
「それが目当てで呼び出したのではないのか?」
「ええ、まあ。逃走中のエルドランの王位継承者が今どこにいるのか見当がつかないかと思いましてね。ヴィルバーンにいるらしいのですが…」
 国王がグラスをテーブルに置きながら言った。
「居場所を特定できるか?」
「できなくはない」
 スブールはカードを束ねている紐を指でなぞった。
「エルドランのシャルロン王女の息子だと言ったな」
「ああ」
「エルドランの王族の血……、ならば辿ることは可能か…」
 誰ともなくぽつりと呟くとスブールは指でもてあそんでいた紐を解いた。
「名はランスロット・ベンウィックというのだな?」
 スブールの確認に国王は頷いた。
 金と白と蒼い色の糸で編み込まれている紐から解き放ったカードをスブールは頭上に投げた。
 するとふわりと宙に舞ったカードが淡い輝きに包まれる。そして床に落ちることなく、まるでダンスを踊るようにスブールの周りをゆっくりと回りだす。
「いつ見ても不思議な光景ですね」
「………どういう仕組みで動いているのか、未だに理解できん」
「魔力で動いているのでしょう?」
「………。自分が使えぬ力など理解できるわけがないだろうが」
 ひそひそと小声でやりとりしている国王と公爵を無視し、スブールは右手を前へと突き出した。
 スブールの周囲をゆるやかに回っていたカードが、今度はスブールの突き出した手の前方へと集まり一点に集中した。しかし、すぐにパッと散ると空中に法則性のあるペンタクルを形成した。
 カードを線で結べば、五芒星を作りそれを囲うように円を描いているのがわかるだろう。
 カードの一枚一枚がそこが定位置だといわんばかりに陣取り、くるくる回転しているのを見てスブールは右手をおろしたが、困惑したように首を傾げた。
「これは…」
「どうかされましたか?」
「いや―――…」
 押し黙ったスブールに国王は無機質で冷やかな瞳を向けた。
「なんだ?」
「…少々風変わりな波動に一瞬妨げられた。おそらく異郷の魔力だろう。探している人物は変わった力を宿しているようだ」
「失敗したのですか?」
 意味が理解できず説明を求める国王と公爵の視線にスブールは無造作に左手を伸ばす。
「術自体は成功した」
 あくまで推測だが宿している能力がなんであれ、封印しているのかもしれない…。それならば、こちらにとって好都合だ。
 スブールは口を閉じ、七十八枚のカードに集中する。
 両手を前へとかざすと、いくつかのカードが輝きを変えた。スブールはそれらに指で触れる。すると高速で回転していたカードはぴたりと動きを止めた。あらわになった絵柄の意味を汲み取っていく。
 王都から見て方位を示すカードを確認すると、スブールは次々とカードを止めていく。
 ―――確立された仕事、職人気質とそれらに付従する動物は馬…。
 場所を特定するカードを止めるたび、スブールは妙な予感をひしひしと感じた。魔導に関わる者は総じて第六感が飛躍的に開花するとされている。スブールもその一人で、自分の勘を信じている。
 ―――領主の不在あるいは留守…、隠遁の賢者が守る土地…。
 スブールは思わず手を止めた。
 分かってしまった。だが複雑な気分に陥る。こんな結果……探し人がいる場所はあの人の領地だとは…。
「スブール殿?」
 動きを止めたスブールにウィンザー公が怪訝そうに声をかけた。
「居場所がわかった。……ノスタルジアだ。探し人はそこに居る」
 ぱっと顔を輝かせたウィンザー公は膝を手で打った。国王はすぐさま声をあげて衛兵を呼び付ける。
 衛兵の一人が慌てて連れて来た侍従長に国王がファルツ伯爵への召喚を命じている横で、ウィンザー公はスブールを窺う。
「気分がすぐれませんか?」
「……余計な世話だ。問題ない」
「ならばよろしいが…、エルドランの王位継承者がノスタルジアにいるとは…」
 こくりと頷くスブールにウィンザー公は足を組みなおしながら考えに耽る。
 スブールは小さく息を吐くとまだ回転を止めていないカードに指を伸ばした。
「……憎しみにおける大きな力、悪性のトラブル…」
「嫌な想像を掻き立てる暗示ですね」
「どうやら探し人に危険が迫っているようだ」
 次のカードを止めたスブールは一瞬きょとんとし、次のカードを止めた。
「………」
 スブールが纏う空気が変わった。真剣にカードに向かうスブールに公爵と国王は顔を見合わせる。
 何枚かのカードを止めていたスブールだったが、次のカードに手を伸ばした瞬間、カードとカードの間にチリチリと小さな火花が走る。
 カードとスブールの指が触れ合う瞬間、バチッと激しい火花が散り、一瞬のうちに炎が牙をむいた。
 ぎょっとして思わず椅子から立ち上がった公爵と国王だったが、スブールは平然としたまま、腕を振る。すると迫りくる炎が弾かれたように霧となって消えた。
「何事だ」
「……たいしたことはない。ただ、魔力の反発が起きただけだ」
「それは一体…?」
「我の魔力と別の魔力が衝突した所為で摩擦が起きただけのこと。それよりも、王よ…」
 淡々と説明を口にしたスブールは燃えて跡形もなく消えたカードがあった場所を一瞥し、国王の方へ向きを変えた。
「今回のこと、どうなさるおつもりだ?」
「…どうとは?」
「ノスタルジアに兵を派遣するのだろう? そなた自身はどうするのかと尋ねている」
「………わざわざ俺自身が赴くこともあるまい」
 国王はウィンザー公に視線を向けた。ウィンザー公も慣れたもので、すぐにその視線の意味を解釈する。この一件はウィンザー公に任せるという意味だ。
 スブールは首を振った。
「王よ…この度の一件、そなた自身が赴いた方がいい」
 スブールは助言はしても、政治に介入することはない。同じように、今まで国王の行動に関して口を出したりもしなかった。
 国王は不可思議な力を敬遠してはいても、魔導師としてスブールの力は信頼しているので、そのスブールが言いきったことに鋭いまなざしを向けた。
「何故だ?」
「ウィンザー公が赴けば、失敗はしなくとも撤退に近い状況に追い込まれる可能性がある」
 ウィンザー公はおやおやというように肩をすくめて見せた。
「ではなにか? 俺が行けば違うとでもいうのか」
「違う。……むしろそなたが行かねばならない」
 国王は驚きこそ表情に出してはいないものの、こちらをベールの奥から見つめてくる無言の眼差しに押し黙った。
「今回は外交間における問題だけではない。王よ、そなたのこれからにも関係してくる。まだ低い確率ではあるが、見逃せない兆候がカードに出た」
 スブールは自分に注がれる二人の権力者の厳しい視線に気が付いていたが、あえて受け止めることはせず、ベールで隠されている瞳を閉じた。
「五年前、そなたが権力を手にし玉座に君臨した時、我が占った結果を覚えているか?」
 戴冠式の慣例で新たな国王が立つと王国付きの魔導師によって占術が行われる。
 大抵は国の未来を視て、豊穣や発展などの成就を願う儀式だが、戴冠式後、スブールは内々に国王に接触し公式には発表されなかった占いの結果を話していた。
「覚えているさ。お前は俺に、――ある程度の成功は治めるだろう。…ただし永続的なものではない。と言ったな。あの時、俺に殺されなかっただけでもましだと思え」
「そなたは馬鹿ではない。国王付きの魔導師という地位にある我を殺さないだろうことはわかっていた。……そして我はこうも言ったはずだ、――永遠の栄光…すなわち約束された成功を手に入れる為には絶対に必要なものがあると。それがなければ、…悲嘆、災難、不名誉…そして転落。そなたの未来は暗い」
「それがどうした。俺は俺の思うままに生きる。たとえ未来がなんであろうが恐れはしない」
「わかっている。そなたは稀にみる不屈の精神を持つ者だ。そなたなら自分の未来をその手で切り開いていくだろう…、しかし、そなたに必要なものはこの国にとっても必要なもののようだ」
 スブールはてカードが暗示していた絵柄を思い返す。
「未来は常に変化するもの…昔は視えなかったものが、今は視える。そなたにとって…そしてこの国とっての大いなる変転の時を迎えようとしている。その小さな切っ掛けが示された」
 国王は眉をひそめた。
「必然性による宿命と偶然による再会。平和からの混乱と混乱からの安寧。抑圧された状況が保つ均衡を壊すための鍵。そなたにとっての鍵――〈力〉のカードが出た」
 古代では玉座に鎮座する女神こそが〈力〉だった。その名残から〈力〉のカードの絵柄はライオンの口を押さえる女だ。
 ライオンは本能。原始的で凶暴な本能こそが力の源だ。女は素手でライオンに触れている。ゆえに力そのものは女の手に備えられている。
 そしてその〈力〉のカードを支える正位置に〈太陽〉のカードがあった。太陽は朝を告げ、光を与え、活力の源を象徴している。意味は成功と誕生、そして祝福された将来…。
 二つのカードとトライアングル上に存在したカードは〈運命の輪〉だ。それが指し示す意味は転換点、幸運の到来―――定められた運命。
 それらの要素を考えて意味を読み解いたスブールは瞼を開ける。
「つまり?」
「ノスタルジアでそなたは太陽と出会うだろう。そしてその出会いがそなたとこの国にとっての運命の輪となるだろう」
「相変わらず容量を得ぬものいいだな。その出会いとはなんだ? 誰と出会う?」
「……娘だ」
 ぽかんとする国王と公爵にスブールは炎の中に一瞬だけ見えた朧げな姿を思い出そうとする。
「わからないが、娘だったと思う」
「それだけか? 性別だけ? 女がこの国にどれだけ存在していると思っているんだ」
 呆れたような声にスブールは仕方がないのだと長い溜息をつく。
「それだけしか分からない。近づこうとしたが、強い力に阻まれたのだ。弾かれた…あれほどの力…、人に宿っているとは…」
 あれは人間というよりも、神や精霊に近い純粋なエネルギーの塊だった。人の世に存在する魔力のそのはるか上をいく…人の皮をかぶった何か。
 あれはスブールよりも強い魔力と守護を宿していた。一瞬でも姿を見れたのは奇跡に近い。
 おそらく探し人の近くにいて、そこから手繰れたのだろう。そして国王に関わる人物だったからカードに現れた。次に占視ようとしても、近づくことすら適わないだろう。

 フリードリッヒが国王の執務室に到着した時、スブールは既に退室した後だった。
 入室を許可され、室内へと進んだフリードリッヒは、微かに残る魔力の残留を感じ取とり「ああ、今まで居たのか…」と心の中で呟いた。
 あれも難儀なことだ。
 王国付き魔導師というのはその生涯を国王に仕え、王国に縛られる。
 前任者から代々受け継がれる強力な術式を身の内に留め、常に王国を見守る者として控え、時に国王に助言を与え、時に予言を落とす。
 常々、フリードリッヒは絶対に王国付き魔導師にだけはなりたくないと思っていた。だが、あれは自らその道を選んだ。
 あれはフリードリッヒとは違う。フリードリッヒもあれとは異なる。だから同情はしないと決めた。しかし、最近では僅かな憐憫を時折感じることがある。
 それはまだフリードリッヒ自身が感情を持つ人間であるという確かな証明だった。
 心の奥底に沈んでいた感情を揺り動かされるようになったのは、一人の少女が自分の元へと転がり込んで来てからだ。
 心の中で微笑ましく思いながら待ち構えていた国王に臣下の礼をとる。
「御前に参上つかまつりました。至急のご用とのこと、ご用件はなんでしょうか」
「相変わらずふてぶてしいなファルツ伯よ」
「性分ですので」
「ふん。またよかろう。その歯に着せぬ物言いは気に入っているからな。お前を召喚したのは他でもない、お前の領地についての承諾が必要だからだ」
「……ノスタルジアについてですか」
「そうだ。ノスタルジアにエルドランの軍兵が不法に侵入しているとの密告があった。もしそれが本当ならば、条約に違反している。これより、事実の確認及び討伐にむかう。伯、お前にも共に来てもらうことになる。ただちに用意せよ」
「それがご命令ならば」
 伯爵の了承をとった国王は振り返った。
「ウィンザー公、お前は残り、宰相と共に俺の留守をしっかり守れ」
「御意」
 恭しく頷いた公爵を横目で見ながらフリードリッヒは自分の領地に居るエリーゼを心の中で思い描いた。
 エリーゼを中心にして目に見えない何かが動き始めている。
 それを人は運命と呼ぶのだろうか…。


  

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